SCCRサポーターの皆様、新年明けましておめでとうございます。
いつもSCCRの働きのためにお祈りくださり感謝します。
昨年もコロナ禍の中で、世界中のさまざまな活動が制限を受け、学校閉鎖や在宅勤務また個人レベルでも外出自粛が要請され、教会もまた集会の自粛や休止を余儀なくされました。ご多分に漏れず、SCCRのリトリートも従来のように会場に集まってリトリートを開催することが出来ず、二年続けてオンラインでのリトリートが持たれました。
その経験を通して思わされたことが三つあります。
① どんな状況下においても教会は存続し、主の働きは止むことがなく、暫定的であっても、オンラインによる礼拝が持たれ、多岐にわたる方法で教会員同士のコミュニケーションがなされている現実を見るときに、信仰の共同体としての教会は如何なる状況下でも無くなるものではないということ。
② 毎週の礼拝を中心に集まることによって活動を続けてきた教会にとって、改めて「教会とは何か」というエクレーシア(召された者たちの集まり)の本質、また信仰の共同体の本来の在り方を見つめ直す必要があるということ。
③ 聖書の終末預言にある「時のしるし」とその兆候が実際に見られるようになった今日、主イエス・キリストを信じる私たちが改めて確認しなければならないことは、主に仕えるとはどういうことかということ。
主に仕えるとは、神様のために何かをすることではなく、神様が私たちを通して何かをなさることです。同様に、伝道とは私たちが神様について語ることではなく、神様が私たちを通して語られることです。隣人を愛するとは、私たちを通して神様が隣人を愛されることです。その意味において、私たちは神様の祝福を持ち運ぶ器です。人に水を与えるときには、コップが必要です。入れ物なしで水を与えることはできません。私たちはいわばコップです。水は神様の働きです。神様は入れ物を必要としておられるのです。
5000人の給食の話にもあるように、イエス様はわずかなもの、小さなものを用いて、人々の考えも及ばないことをされました。それは、今日も同じです。イエス様は、あなたを通して素晴らしい御業をなそうとしておられます。イエス様は、あなたを祝福の運び手として用いようとしておられます。
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」という声を聞いたイザヤは、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」と言いました。(イザヤ6:8)
あなたはこの主の声を聞いて何と答えられますか?
今年も北米のみならず、祖国日本、また欧州、アジア、南米など、世界中の日本語理解者の救いのために主に仕えていきたいと願っています。そのために主はあなたを必要とされています。ぜひ、あなたも主の祝福を持ち運ぶ器になってください。そして、あなたの思われるところを何でも皆さんに分かち合ってください。互いに励まし合いながら主に仕えさせていただきましょう。
皆様の祝福をお祈りします。
鶴田健次(つるた・けんじ)
SCCR 主事。ラスベガス日本人教会牧師。2002年3月の最初の日曜礼拝から始まって、教会は着実に成長を遂げ、日本語部と英語部のふたつを持ち、教会堂も取得した。敬老ホームと幼稚園の建設、また日本での開拓伝道を目指している。
SCCRサポーターの皆様、
今年の8月29日〜31日に持たれる南カリフォルニア・クリスチャン・リトリートのためにお祈りください。具体的な祈祷課題は以下のとおりです。
祈りによって全ての霊の闘いに勝利しましょう。
「全米祈りの日」は毎年5月の第1木曜日と定めらていますので、今年(2022年)は5月5日となります。リンカーン大統領が、南北戦争で傷ついたアメリカの癒やしのために祈りを呼びかけたことから始まったものです。この日には歴代の大統領がホワイトハウスから「宣言」を出して、アメリカ市民に祈りを呼びかけてきました。
私がこの「全米祈りの日」を知ったのは、まだ日本にいたときでした。アメリカから講師を迎えて行われた「祈りのセミナー」に参加し、その講師からのニュースレターの中に「全米祈りの日」のことが書かれているのを読んで、詩篇33:12を思い起こし、「アメリカには、こういう日があるのか。なんと幸いなことだろうか」と思いました。
その後、アメリカで伝道、牧会することになったのですが、日系の教会や日本語教会では「全米祈りの日」のことは知られていませんでした。それで、アメリカで生まれ育った人ではなく、日本から来た私がこの日を宣伝することになったのです。
2001年、「同時多発テロ」があった後、多くの教会が、「アメリカの癒やし」のために祈ろうと、人々に呼びかけました。私が奉仕していた教会でも、礼拝堂が一杯になるほど近隣の人々が集まり、皆で祈りを捧げました。私は、その光景を見て、リバイバルのきざしかと思いましたが、残念なことに、時が経つにつれて祈りはしぼんでいきました。
今、アメリカも世界も「9・11」以上の危機にさらされています。神を信じる人々によって始められたアメリカが、神に立ち返り、この国に、もういちど、祈りの火が点じられるよう願っています。
中尾フィリップ(なかお・ふぃりっぷ)
サンディエゴ、サンノゼで伝道牧会の後テキサス州に。ダラス永楽長老教会日本語ミニストリー協力牧師。Penguin Club より伝道、聖書、霊性の学びを提供。月刊聖書黙想の手引『日々の聖句』主筆。Podcast "Philip's Bible Message" ホスト。スモールグループ、セミナー、リトリートの指導。
主イエスの昇天ののち、120人の弟子たちは、ひとつところに集まり、「いつも心を一つにして祈って」いました(使徒1:14)。
この箇所には、「専念する」、「没頭する」、「守る」、「時間を使う」、また「忙しくする」といった意味を持つ言葉「プロスカルテレオー」が使われています。新約聖書では、この言葉は、ほとんどの場合、「祈り」と一緒に使われています。「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた」(使徒2:42)、「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します」(使徒6:4)、「ひたすら祈りなさい」(ローマ12:12)などです。
私は現役を引退したのちもいくつかのミニストリーにかかわって忙しくしています。そのため祈りに「専念する」ことを忘れていないかと反省しています。それで、毎年、主の昇天日からペンテコステまでの9日間、初代の弟子たちにならって、祈りに専念しようと努めてきました。また、『ペンテコステのノヴェナの手引』を書いて、他の人にも「9日の祈り」を呼びかけてきました。
今年の「ノヴェナ」は5月27日から始まります。大川道雄先生がヨハネの福音書から『ペンテコステのノヴェナ』を書いてくださいました。まだ手にしていない方は、このウェブページからダウンロードしてください。今年のリトリートのテーマは「聖霊の満たし」ですが、それにつながることが書かれています。SCCRには120人以上のサポータがいます。この120名が一致した祈りをげるなら、聖霊が働いてくださらないわけはないと信じています。
中尾フィリップ(なかお・ふぃりっぷ)
サンディエゴ、サンノゼで伝道牧会の後テキサス州に。ダラス永楽長老教会日本語ミニストリー協力牧師。Penguin Club より伝道、聖書、霊性の学びを提供。月刊聖書黙想の手引『日々の聖句』主筆。Podcast "Philip's Bible Message" ホスト。スモールグループ、セミナー、リトリートの指導。
SCCRサポーターの皆様、
2022年も6月に入り、一年の折り返しです。皆様、如何お過ごしでしょうか。
今年の南加クリスチャンリトリート開催まで約2ヶ月となりました。過去2年間、コロナ禍でさまざまな制限を強いられる中、オンラインリトリートを行ってきましたが、今年遂に念願の対面式リトリートが戻ってきます!
オンラインミーティングは大変便利ですが、顔と顔とを合わせる集いには、オンラインにはない特別なものがあります。そのような「集い」は、クリスチャン・アイデンティティのひとつではないでしょうか。使徒パウロが、その書簡を送る相手に「会いたい」と書き記しているのも同じ理由だと思います。今年のリトリートでは、そのような思いを持って一同に集まり、皆様と一緒に特別なリトリートを作り上げたいと願っています。
2022年8月29日(月)〜31日(水)、Holy Spirit Retreat Centerにて2泊3日(6食付き)のリトリートに是非ご参加ください。その時、その場所にしかない体験を一緒に味わいましょう!
リトリートの案内と申込書は https://sccrgo.com/retreat.html からダウンロード可能ですが、郵送を希望される方は [email protected] まで宛先の住所をお知らせください。その他リトリートに関するご質問等も同アドレスまでご問い合わせください。
皆様にお会いするのを心待ちにしています。
主にあって、
SCCR準備委員会
私が南カリフォルニア・クリスチャン・リトリート(SCCR)にはじめて参加したのは、カリフォルニアからテキサスに移ってからでした。カリフォルニアにいたときは、教団の修養会や牧師リトリートでの奉仕があり、毎夏、別のリトリートに参加していましたので、SCCR に参加する機会がありませんでした。
テキサスで長年行われていた日本語の修養会がなくなってさみしく思っていたとき、SCCR の案内をいただきました。それは2017年のリトリートでした。講師の工藤弘雄先生は、以前、教団の修養会でも講師をつとめてくださった方で、よく存じ上げていました。先生はテサロニケ人への手紙を、ケズィック聖会などで行われている「バイブル・リーディング」という方法に従って、順に解き明かしてくださいました。その解き明かしは、御言葉がたましいにしみるようで、期待に違わないものでした。テキサスから家族で参加するには、時間も経費もかかりましたが、SCCR は私に、それ以上のものを与えてくれました。
「リトリート」には「退却」という意味があります。軍事用語ですが、軍事では「前進」よりも「退却」のほうが難しいと言われます。むやみな退却は、敵に背後を突かれ、総崩れになる危険があるからです。信仰生活は、つねに「前進」の生活なのですが、それは「それ行け、ドンドン」といったものや、休むことなく動き回ることだけではないはずです。いったん退いて自分を見つめなおし、冷静に状況を分析し、何よりも主のみこころを問い求める時が必要です。一時の退却は敗北ではありません。それは勝利のための「戦略的退却」です。そんな意味での「リトリート」(退却)は、私たちの信仰生活に必要なもので、そこから、「勝利への前進」がはじまるのだと思います。
真の「前進」のための「リトリート」を体験するため、SCCR への参加をこころからお薦めします。
中尾フィリップ(なかお・ふぃりっぷ)
サンディエゴ、サンノゼで伝道牧会の後テキサス州に。ダラス永楽長老教会日本語ミニストリー協力牧師。Penguin Club より伝道、聖書、霊性の学びを提供。月刊聖書黙想の手引『日々の聖句』主筆。Podcast "Philip's Bible Message" ホスト。スモールグループ、セミナー、リトリートの指導。
今年のリトリートの主題は「聖霊の満たし」です。このテーマに期待する人もあれば、かえってためらいを覚える人もあるかと思います。「『聖霊の満たし』はとても高度なもので、まだ信仰の成長していない私には理解できないのでは…」、「何度も『聖霊の満たし』を求めてきたけれど、どのリトリートでも、納得のいく体験ができなかった」と考えるからです。
ペンテコステの時だけでなく、「聖霊の満たし」が何度も繰り返されたことが、「使徒の働き」に書かれています。使徒たちは聖霊に満たされ、迫害をものともせずに宣教に励みました。エルサレム教会で選ばれた「七人」は皆、「聖霊に満たされた人」でした。そのうちの一人ステパノは教会の最初の殉教者となり、もう一人のピリポは伝道者になっています。こうした箇所から、「『聖霊の満たし』は特別な使命を受けた人たちのためのもので、自分たちには関係がない」と考える人もあるでしょう。
しかし、エペソ5:18以降では、「聖霊の満たし」がすべての信仰者に求められています。そこでは、聖霊に満たされることによってはじめて、「キリストを恐れて、互いに従い合う」ことができると教えられています。そして、「キリストを恐れて、互いに従い合う」ことが、具体的にどんなものであるかが、「夫と妻」(エペソ5:22-33)、「親と子」(エペソ6:1-4)、「主人としもべ」(エペソ6:5-9)の関係において説かれています。これは、「聖霊の満たし」が宣教などの教会の働きのためだけのものではなく、家庭や職場、また、社会での信仰者の日々の歩みのためのものであることを教えています。
アメリカでは、学校の基礎コースは「101」で表し、最高学位は「Ph. D.」です。「聖霊の満たし」は、信仰の Ph. D. コースでも究めきれない豊かさを持っていますが、同時に、それは「信仰生活101」で学んでおかなければならない、とても基本的なことがらなのです。また、アメリカでは、一般の人が理解できないようなことがらを「ロケット・サイエンス」にたとえますが、「聖霊の満たし」は「ロケット・サイエンス」でもありません。「聖霊の満たし」は私たちの手の届かないところにあるのではありませんし、手の届かないところに置き去りにしていいものでもありません。
今回のリトリートでは「聖霊の満たし」が聖書に従って解き明かされます。「聖霊の満たし」についてはじめて聞く人も、それをよく理解し、その体験へと導かれることでしょう。すでに「聖霊の満たし」のうちに信仰の歩みを進めている人は、さらなる高みと深みに導かれることでしょう。
リトリートの登録締切(8月15日)が迫っています。ためらいを捨て、期待をもってご参加ください。
中尾フィリップ(なかお・ふぃりっぷ)
サンディエゴ、サンノゼで伝道牧会の後テキサス州に。ダラス永楽長老教会日本語ミニストリー協力牧師。Penguin Club より伝道、聖書、霊性の学びを提供。月刊聖書黙想の手引『日々の聖句』主筆。Podcast "Philip's Bible Message" ホスト。スモールグループ、セミナー、リトリートの指導。
2022年南加クリスチャンリトリート参加者の皆様、
連日、オミクロン株亜種BA.5に関する報道が続いています。
引き続き、健康を第一に考え、感染予防を心がけていきましょう。
今回、3年ぶりの対面式リトリートを開催するに当たって、私たち準備委員もリトリート施設と連携を取りながら、感染防止対策を実施します。その上で、参加者の皆様には、以下の内容についてお願いしたく思います。
① リトリート会場内でのマスク着用等。
② ワクチン接種証明書、PCR検査・ホームキットによる陰性証明書を受付にてご提示ください。
• ワクチン未接種の方でも、72時間以内のPCR検査の陰性証明書、あるいはホームキットでの当日テスト結果の陰性証明を会場受付にてご提示くだされば、ご参加いただけます。
• ワクチン接種済みの方でも、来場前にホームキットでの陰性検査をお願いします。
• ワクチン接種証明書と、陰性反応を示すホームキットをご持参の方は、PCR検査不要です。
③ 万が一、陽性反応が出た場合、直ちにSCCRスタッフにご連絡ください。登録後、集会日直前にコロナ感染が判明し、参加が叶わなかった場合は全額返金します。
④ リトリート中、体調の異変を感じた場合は、直ちにSCCRスタッフまでお知らせください。
以上、ご不便をおかけしますが、安全にリトリートを開催するためにも、ご理解・ご協力よろしくお願いします。
ご質問等ございましたら、いつでも気軽にご連絡ください。
皆様の上に、父なる神の守りがありますよう、お祈りしています。
「私たちの終わりは近づいた。私たちの日は満ちた。私たちの終わりが来たのだ。」(哀歌4:18)
ああ、なんと恐ろしい! これはエルサレムの荒廃を歌った挽歌ですが、今の世界の姿を見せられ、身もふるえます。また、地上に来てくださった主イエスの切羽詰まったご様子が見えます(マルコ1:15、エペソ1:10)。エルサレムの荒廃をはじめとして、バビロンやローマ、そして今にいたるまでの世界の名だたる大都市の荒廃ぶりが鮮やかに、目に浮かびます。
黙示録に接していれば、なおさらです! 今の地球上では、地獄化している国があると言われています。聖書の予言通りに、世界は進んでいるのです。神を注視しない国々の恐ろしい状態が、インターネットで日々流されています。患難は神を無視する人々の間ですでに始まっています(ルカ21:10、24以下)。そして、「見よ、その方は雲とともに来られる」(黙示録1:7)とあるように、やがて、主イエスが雲に乗って再び地上に来られ、世界中の人々が、その様子を瞬時に見るようになるでしょう。
しかし、信じる者にとって、その日は恐ろしい日ではありません。十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫ばれたとき、キリストは人々の断末魔の苦しみを、身代わりとして受けてくださり、救いの道を開いてくださったのです。ですから、主を信じる者には、再臨の日は、花嫁が花婿キリストを迎える喜びの日なのです(黙示録22:17)。「時が近づいて」います(黙示録1:3)。宣教が急がれます。救いと希望を伝えましょう。
(『日々の聖句』2022年8月号より)
大川道雄(おおかわ・みちお)
1938(昭和13)年、牧師家族に生まれる。12歳のとき入信、13歳のとき召命を受ける。1975年渡米。カリフォルニアの3つの教会で牧会、2つの教会を開拓。2005〜2021年まで、日本伝道に派遣される。帰米後もロサンゼルスで牧会。北米ホーリネス教団名誉牧師。引退牧師の会会長。
主の尊い御名を賛美します。
いつも SCCR の働きをご支援くださり有難うございます。
さて、突然のお知らせですが、この度、8月29日〜31日開催予定の南カリフォルニア・クリスチャン・リトリートが ZOOM でのオンラインリトリートに変更になりましたことをご報告させていただきます。
SCCR 準備委員会も 3年ぶりの対面リトリートを楽しみに、期待をもって待ち望みつつ、コロナ渦の中でもギリギリまで予定通りの開催を準備して参りました。しかし、他団体の修養会で予想を超えるコロナ感染者があったこと、またそれに伴う諸要因を考慮し、今年のリトリートをオンラインで開催することに致しました。
なお、新しい日程は以下の通りです。
9月12日(月曜日)
第一聖会(6:00PM〜7:20PM)
休憩(10分)
第二聖会(7:30PM〜9:05PM)
9月13日(火曜日)
第三聖会(6:00PM〜7:20PM)
休憩(10分)
第四聖会(7:30PM〜8:45PM)
(上記の時間はすべてカリフォルニアでの時間です。恐れ入りますが、他の地域の方は、ご自分の地域の時間に換算してください。なお ZOOM ミーティングへの参加リンクは後日メールでお知らせします。)
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。」(ヘブル12:2)
ここは、クリスチャン生活を実によく表している新約聖書中最も感動的なところです。
◎ 信仰生活にはゴールがあります。クリスチャン人生は、ただダラダラと散歩道を行くのではなく、競走コースを行くようなもので、ゴールがあります。信仰は進行(直進)です。やがてキリストの前に出て、キリストに似たものとされるのが目標です。
◎ 信仰生活には絶えず励ましがあります。「雲のような証人たち」に囲まれています。するとクリスチャンは満員のスタジアムで走っているようなものです。観客たちは、すでに勝利の栄冠を得た人たちです。
◎ 信仰生活には多くのジャマがあります。罪の誘惑にも囲まれていますから、罪の重荷がまとわりついてきます。不必要なものは捨てるのです。悪い習慣、娯楽、欲、人間関係等。
◎ 信仰人生には、聖霊の力が与えられます。絶え抜く忍耐力が与えられるのです。
◎ 信仰人生には、イグザンプル(模範)があります。主が耐えてくださったのですから、私たちも耐えられるのです。主イエスと共に生きるのでから。主はすでにこの旅路を終えて目的地に到達して、私たちの到着を待っておられます。
(『日々の聖句』2022年9月号より)
大川道雄(おおかわ・みちお)
1938(昭和13)年、牧師家族に生まれる。12歳のとき入信、13歳のとき召命を受ける。1975年渡米。カリフォルニアの3つの教会で牧会、2つの教会を開拓。2005〜2021年まで、日本伝道に派遣される。帰米後もロサンゼルスで牧会。北米ホーリネス教団名誉牧師。引退牧師の会会長。
すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。(コロサイ1:28)
10月31日は、1517年、マルチン・ルターが教会の扉に「95ヶ条の提題」を掲示して、贖宥状に関する討論を呼びかけた日で、そのことから、この日が「宗教改革記念日」となりました。
アメリカでは住宅の改装には〝renovation〟や〝remodeling〟を使いますが、日本では「リフォーム」と言うのだそうです。「宗教改革」は英語で〝reformation〟と言いますが、これはもちろん教会堂の改装のことではありません。見失われていた福音を取り戻し、それに従って教会の教義、組織、また礼拝の形を変えていったことを意味します。この宗教改革によって新しい教会(新教)が生まれ、それまでのローマ・カトリック教会は「旧教」と呼ばれるようになりました。
新しいものが生まれるためには古いものが壊されなければなりませんが、宗教改革では行き過ぎた破壊や、今まで大切にされていた霊的なことがらまでも捨てられることがありました。その一つが〝Spiritual Formation〟と呼ばれる「霊性の形成」です。特定の「聖人」を崇めることをしなくなった代わりに、すべてのキリスト者が「聖徒」であり、聖性を求め、文字通り「聖徒」となることを目指すことも忘れてしまったのです。福音の真理が再発見されたのに、霊性を軽んじたため、信仰が知的なものに偏り、「死んだ正統主義」に陥ってしまいました。
しかし、今日、そのことが反省され、聖書的、福音的な霊性の形成が探求されるようになりました。聖書が一貫して教えている霊的な「成熟」(第一コリント2:6、エペソ4:13、コロサイ1:28、4:12、へブル6:1、ヤコブ1:4)を目指し、「聖なる者となる」ことを求めるとき(第一テサロニケ4:3、第一ペテロ1:15)、宗教改革は完成するのだと思います。
(『日々の聖句』2022年10月号より)
中尾フィリップ(なかお・ふぃりっぷ)
サンディエゴ、サンノゼで伝道牧会の後テキサス州に。ダラス永楽長老教会日本語ミニストリー協力牧師。Penguin Club より伝道、聖書、霊性の学びを提供。月刊聖書黙想の手引『日々の聖句』主筆。Podcast "Philip's Bible Message" ホスト。スモールグループ、セミナー、リトリートの指導。
Q1. 相原牧師がこのリトリートを始めたきっかけは?
27年前に南カリフォルニアで宣教奉仕を始めて気づいたことは、この地域には、教団毎の「修養会」はあっても、日本語を使うクリスチャンたちの、教派を超えたクリスチャンの交わりがないことでした(北カリフォルニアには長く続いている修養会がすでにありました)。
そこで、年に一度ぐらいは、同じ主を信じる信仰者たちが集まって、共に祈り、賛美し、交わりを持つ時があっても良いのではないか、と感じたからです。なぜなら、聖書に示されている「教会=呼び出された人たちの集まり」には、教派も、教団も見られず、ただ、イエス・キリストの体である教会があるだけです。
神が万民の中から召し出しておられる神の家族のビジョンと、罪に染まっていた人類の持ちがちな仲間意識、同族意識、村意識、国家意識、狭い教派意識とは、相容れないものであると思われたからです。新約聖書には、ペテロ派教会も、パウロ派教会も、ヨハネ派教会もありません。「なになに人教会」もありません。ただ「キリストの教会」があるだけです。ですから、このリトリートは、「日本人クリスチャン」のリトリートではなく「日本語を語る人々の」リトリートです。「聖なる公同の教会、聖徒の交わり...を信ず。」
Q2. では、過去26年間にわたり、26回のリトリートがあったそうですが、その実として何が残っているのですか?
南カリフォルニア・クリスチャン・リトリート(SCCR)は、地域教会でも、教団でもありません。ですから、教会や教団の年間資料に見られるような、「今年の受洗者数、礼拝出席者数、教団の献金総額」、というような数字はなく、残す必要もありません。神の聖霊の働きを、そのような数字で残すことはできません。神の御業は、一粒の種から100倍500倍の実が結ばれるように、多くの場合、目には見えないものです。神のしもべたちは、それぞれ与えられているタレントに従って、真実に熱心に、信仰をもって種まきをしているのであって、その結果を、今自分の目で見て確かめる必要はありません。このリトリートでどのような実が結ばれたかを知るのは、キリストの御国が完成した時でしょう。その時まで、御霊の導きに従って、信仰と希望を持って、奉仕し続けるのです。
Q3. 今までどういう牧師たちが講師として奉仕されたのですか?
何十人という方々が、一所懸命素晴らしい神のメッセージを語ってくださいました。その先生方のお名前は、
SCCR リトリート一覧
に載っていますのでご覧ください。色々な教団に属する方々が語られましたが、いつも感じることは、「教派が違っても、信仰は一つ、キリストはひとつだなあ」ということです。
参加してくださる方々についても、「同じ御霊によって、同じ信仰に歩んでいる方々だな」と感じます。
Q4. このリトリートの将来についての希望は何ですか?
主イエス・キリストの再臨の日まで続いて欲しいですね。今後、コロナその他の疫病がどのように流行するか分かりませんが、たとえ流行がなくても、オンラインと、会場での集会と、並行して開催して欲しいですね。ZOOM などでの集会は、どこにいる人でも同時に参加できるし、会場では参加できない方々にも霊的な恵みに与ることが許されますから。
会場に集まる方々にとっては、参加費を費やす価値と意義がある場所である必要があると思います。例えば、景色がとても良くて楽しめるとか、温泉があってリラックスできるとか。ですから、暑い夏に開く必要はなく、もっと気候の良い時、良い場所で開かれると良いと思います。
相原雄二(あいはら・ゆうじ)
東京生まれ・育ち。17歳の時、キリストの救いに与る。すぐに献身して、伝道者、宣教師の道を目指す。インマヌエル聖宣神学院、フラー神学校卒。日本で14年間牧師として奉仕。パプア・ニューギニアで宣教師として18年間奉仕。カリフォルニア、ミッション・ビエホ市で宣教師として奉仕中。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。堀田恵裕です。
11月23日、感謝祭前日にこの記事を執筆しています。
この時期から、世の中は一気にお祝いムードになります。
クリスチャンにとっても、大変喜ばしい季節です。キリストの恵みを覚え、主を仰ぎ見ようではありませんか。皆様の上に主の平安と平和とをお祈りしています。
今回は少し長めの投稿になりますが、是非、最後までお読みください。
皆さんには「憧れの人」はいますか?
特に、聖書の登場人物の中で、「この人のようになりたい」と思うような人はいますか?
私は、使徒パウロに強い憧れを抱いています。いわゆる「ファン」です。
「口調が強い」、「厳しい」、「怖い」、というようなイメージを持つ人もいると思いますが、私は、パウロほどキリストの愛に生き、キリストにある希望に生きた人はいないと思います。
はじめからそうだったのか?否。
パウロも様々な経験を通して、信仰が成長し、そのような人格を持つまでに至ったのだと思います。
ピリピ人への手紙で、彼自身が、過去の自分と今の自分とを比較して話しています。
この言葉の文脈は、偽教師たちはキリストに信頼するのではなく、自分たちの経歴、名誉や功績に信頼しているが、真の信者はそうではない、というものです。神の御霊によるものではないものを、ここでは「肉」と言っています。
もし、パウロが肉を誇るのだとしたら、彼は「私には誇れるものが山程ある」と言っています。
彼は歴としたユダヤ人です。8日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン族出身、ヘブル人の中のヘブル人。律法に関してはエリート中のエリートです。律法を熟知しているだけでなく、律法による義に関しては非難されるところがない。また、彼はそれを実行することに非常に熱心でした。それは教会と、その頭であるイエス・キリストご自身を迫害するほどでした。
以前のパウロは、これらのことを「得(profit)」だと考えていました。
しかし、今彼はそれらのものを「損(loss)」と思うようになっています。
それはなぜか。キリストを知ることのすばらしさを知ったからです。
パウロは、キリストを信じることで、今まで誇りとしてきたこと全てを失いました。しかし今や、彼にとってそれは「ちりあくた(ゴミ)」でしかありません。それは、彼がキリストを知り、キリストにある者となるという「宝」を手に入れたからです。
パウロが、これらのことを書いている時、彼はローマで獄中生活を送っていました。
自費で借りた家で軟禁状態にあり、自由に身動きが取れない状態です。
また、ローマ皇帝ネロの裁定次第では、死刑になる可能性もありました。
そのような状況下で、彼は、自分には何にも変え難い宝があることを思い巡らしているわけです。
さらに彼は言います。
パウロは、自分自身が完全にされたとは1ミリも思っていません!
さらにキリストの復活の力を知り、キリストの苦難、キリストの死とも一体化することに望みを抱き、それを追求しています。(3:10〜12)
そして、彼が目指すゴールは、キリストにあって天の御国に入ることです。この世の評価ではなく、神の御前に立つことこそが最高の賞であり、そのために走り続けているのだと確信しています。
全て、彼自身がキリストの愛を体験し、この世の何であってもそれを取り上げることができないと知っているからです。(ロマ8:39 参照)
ちなみに、パウロは、この手紙を書いた後に釈放されます。そして、再び各地を訪問して福音を宣べ伝えました。
天の御国の祝福は、信者一人ひとりに約束されていることです。(エペ1:3〜14 参照)
パウロが心に抱いている希望は、私たちの希望でもあります。
パウロが目指している目標は、私たちの目標でもあります。
今改めて、本当に価値あるものは何か考えようではありませんか。
そして、私たちも「うしろにあるものを忘れ、前のもの、天の御国の祝福に向かって、ひた走る人生」を進ませて頂こうではありませんか。
皆さんの歩みが、キリストの恵みに満ち溢れたものでありますよう、お祈りしています。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師。
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