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2019年6月6日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆さまへ
世界はわが教区なり(ジョン・ウエスレー)
4月28日のサンデイエゴ教会での(9時)私の礼拝説教は、インターネットを通して世界中で視聴することができます。スリルとサスペンスのルカによる福音書と同著者の使徒行伝(聖霊行伝)から、「復活、それから」("Resurrection, and Beyond")、日英両語です。
<神は挑戦の神です>
老人たちも、主の示した夢をみる。(使徒行伝2:17 詳訳聖書)
「老人のウソ」という言葉を最近耳にしました。この意味は、老人はウソをつくという意味ではなくて、1920年ごろまでは人生わずかに50年と言われていましたが、100年ほど経った今、100歳時代を迎えました。
生まれて、育って、受験して、就職して、結婚して、家建てて、子育てして、大体終わって、50年というわけでした。ところが今、100歳時代を迎え、もう50年がプラスされました。人々は50過ぎてから75歳ぐらいになって、さて次の、20年、30年をどう生きるのかを知りませんでしょう?あと50年の計画はいかに?というわけです。今私たちに与えられている使命感は、実に75、80歳になってから信仰生涯の真骨頂が、完成が、仕上がりがちゃんと聖書には描かれています。こういう事は、もうすでに聖書に教えられています。
たとえば、信仰の父アブラハムは「75歳の時、ハランを出た」(創世記12:4)と告げられています。絶大な神の計画の信仰人生の青写真の先駆けとなりました。
<信仰は冒険です>
神はモーセのために、40年の最高の教育と訓練、それから40年のミデアンの野で羊飼いという神の人になるための訓練を与え、80歳になるのを待って、モーセをイスラエルのエジプト脱出のリーダーとしてお召しになられました。旧約聖書を代表する「律法」を神からいただきました。<選択は運命の蝶番(ちょうつがい)>です。<人は、他人を変えることはできても、自分を変えることはできない。>最高の例は、主イエスが最も愛した弟子たちの一人使徒ヨハネでしょう!十字架上で、主は母マリヤをヨハネに委託しました。12弟子の中で、迫害の中を通され、守られ、命ながらえ、90歳を超えて、パトモス島に流され、聖書の締めくくりともいうべき、ヨハネの黙示録を通して、これから世界に起こることを見せられ、最後の審判、サタンの滅亡、小羊イエスとキリストの花嫁である教会の勝利の婚姻をクライマックスに、天国の様子をこと細やかに新天新地をヨハネに見せました。これこそが信仰生涯の目標、「生きた望み」(第一ペテロ1:3)になりました。
私は、80歳になりました。日本の教団とその中の牧師のいない教会の総意(決定)により、日本の牧師のいない教会の協力牧師としての認可と任命をいただきました。祖国日本とはいえ、クリスチャン人口が1%にも満たない日本へ宣教におもむくことは
大きなチャレンジです。ピリピ2:4-11にあるように、天の栄光を捨てて、この地上に来られ、馬小屋に生まれ、人間の苦しみを背負い、人類の罪を背負って、私たちの永遠の救いのために十字架に上られた、主イエスの思いと御苦しみを少しでもいた
だきたく思います。
13歳の時に、主イエスの救いにあずかりました時、主イエスさま以外は何も見えなくなりました。すべてを献げて、主にお従いする決心をしました。聖霊の熱いお導きでした。その決心の熱き思いはいまだに消えません。宣教師たちや牧師である両親の影響も大でした。
あと何年生かされるのかはわかりませんが、「わたしにとっては生きることはキリストであり、死ぬ強調文ことは益である。」(ピリピ1:21)という、パウロ先生の模範に少しでもあやかりたいとそう願っています。
私にとっても、この年寄りの私に何ができるのかと問うことよりも、私は、キリストのものである、ということの確信を持ちたいと祈り、願っています。というわけで8月の南加クリスチャンリトリートに参加できなくなりましたことを平におゆるしください。そしてこの小さきものが日本での福音宣教のために、「霊に燃えて、主に仕える」(ローマ12:11)ことができますように、祈ってください!!
私は天よりの啓示にそむかない。(使徒26:19)
時が近づいて来ているからである。(黙示録1:3)
リトリートの中で、早天祈祷会の中で、祈りの課題の中で、日本伝道の大川のために祈ってくだされば幸いです。
とにかく、毎日歩くことが日課なので、トラクト配布を励みますから、10ドルでもいいですから、トラクトの費用の一部を送ってくださったら感謝です。みなさんとのつながりを持ちたいからです。そしていつの日にか私の教会を訪ねてくださって、一緒にトラクト配布をしませんか!写真もメイルで送ってください。静岡市清水区有東坂(うとうざか) 清水有東坂キリスト教会
5月に訪日の予定です。
主イエスにあって
2019年4月12日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
今年の8月12日-14日に持たれる南カリフォルニア・クリスチャン・リトリートのためにお祈りください。具体的な祈祷課題は以下のとおりです。
祈りによって全ての霊の闘いに勝利しましょう。
2019年3月23日
BLOG TEAM
今年もあっという間に2月に入り、月日は私たちにおかまいなく、激しいスピードでどんどん過ぎてゆく世の中に、私たちは生かされております。しかしこうした中にあっても、神様の歩みに歩調を合わせ、神様の御心に添うべく、日々、新鮮に、創造的に、生かしていただきたいというのが、わたしたちの願いであり、いのりです。
昨年の8月、サンフェルナンドの平原のエンシノでもたれた南加クリスチャン全員を対象にしたリトリートに参加させていただき、鶴田先生、相原先生、河野先生、大川先生はじめ多くの先生がたやリーダーの方々が、長い間、忠実に捧げ続けてこられたそのヴィジョンと熱意に感動して、お仲間に入れていただきました。私はクリスチャンになって今年で46年になります。わたしの信仰生活は神様の一方的な惜しみなき恵みをいただき、真実、感謝と喜びに溢れた毎日でした。それ故にこそ、私の中には、常に自分自身に対して、イエスさまが望んでおられるクリスチャンとしてのありようは、これでよいのかという自問、自責の念がありました。神様は現代のクリスチャンを心から信頼し、安心してご自分のヴィジョンとミッションお任せ下さっておられるのだろうか、と。
20世紀初頭に開始された日系人伝道は、この百年の間に50をはるかに超える教会数に成長しました。その一つ一つの教会はどんな時もイエスさまの御手によって始められ、深い御思いの中で育てられ、成長し、イエスさまのヴィジョンを実現すべく、共に働き、共に戦い、共に喜びつつ今日に至りました。どの教会もいかなる瞬間も主のご愛と導きをはなれることはなかったのです。その尊い他教会に属する多くの兄弟姉妹を、私は日々の生活の中でどれほどの熱い思いをもって愛し、必要ならば具体的に手を伸ばし、祈らせていただいてきただろうかと思わされるのです。「互いに愛し合いなさい」との尊い十字架をかけての主の最後の祈りは、主の再臨まですべての教会が主の教会として真に一つであってほしいという御思いにつきるのではないでしょうか。
それなのに私たちは、自分の教会,教団をこえた主にあっての真の友を、どれだけ大切に考えてきたでしょうか。
新約聖書のパウロの書簡が私たちに教えてくれる第一のことは、彼がどれほど ピリピの、エペソの、コリントの、テサロニケの、その他多くの教会の信徒のひとりびとりを、心を尽くし、命の限りをもって愛し、彼らの真理への成長と、その働きの拡大に期待し、教え導き続け、感謝し続け、祈り続けてこられたことか。徒歩しか頼れない当時にあっては、あのマケドニアの地を旅することは現代のアメリカ全土を移動するよりもはるかにきびしいものであったでしょう。それでもパウロは歩いたのです。自分の肉体の全てを用いてキリストの福音の真実を教え伝えてくれたのです。
今年8月12日から三日間計画されている南加日系クリスチャン全員の為のリトリートへの、あなたの期待とヴィジョンは何でしょうか。私は参加者の一人としてその日集った一人一人に「イエスさまの目」で、「パウロの思い」で本当のかけがえのない兄弟姉妹として触れさせていただきたいと心から願っております。そしてこの小さな思いがこのどうしようもない混乱する世界情勢をすこしでも正常に戻すための小さな一歩となってくれることを真剣にいのりつつ参加させていただくつもりです。
2019年2月2日
BLOG TEAM
昨年久しぶりに日本の桜の景色を見たいという思いが強く心にわいてきましたが、もうすでに4月も半ばを過ぎておりましたのであきらめていましたところ、友人が故郷の秋田の実家を訪ねるということで、私も便乗させていただくことになりました。
幸いなことに、秋田の桜は満開でした。あのように美しい桜並木ははじめてでした。私の故郷、京都の桜並木とは違ったシンプルで可憐な美しさがありました。大満足で LA に戻って来ましたが、その頃から口の中に痛みがあり、どの医者に診てもらっても原因がわからず困っていましきところ、やっと顔の左耳の下に癌があることがわかりました。
医者はその癌を取り除くように提案しましたが、その近くには余りにも多くの繊細な機能があり、取り除くには、耳も切らなければならないなという危険が伴いますので、それは拒否しました。代わりに radiation treatment をすることになりました。その時私に与えられました御言葉は、「人の手によらず、主の御手によって癒されよ」でした。
Radiation treatment は土日を除いて毎日35日間パサディナのクリニックに通わねばなりませんでした。病気になってから車の運転をひかえていましたので、毎日誰かに運転を御願いしなければならないことになり、途方にくれておりましたところ、教会の友人方がスケジュールをたてて引き受けてくださきました。
2、3日ならまだしも、35日間もお世話になり、ただただ感謝するのみでした。この時ほどクリスチャンであったことの幸せを実感させていただいたことはありませんでした。また知らない方が友人から送られてきて、毎日癌の患部に里芋と生姜、小麦粉、塩をまぜたものの湿布をしてくださり、患部の大きな腫れはみるみるうちになくなりました!なんとありがたいことでしょうか!
主の御言葉の「人手によらず、主の御手によって癒されよ」とはこういう意味だったのだと ようやく理解することが出来、深くうなずきました。
主お導きの確かさと深さにあらためて感動しています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに㍊ いて感謝しなさい。これがキリストイエスにあって神があなた方に望んでおられることです。」(1テサロニケ5:16-18)
2019年1月17日
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