皆さんと、今年も南加リトリートで、お目にかかれますこと、心から熱望しています。昨年から新しいリーダーである鶴田先生が立てられ、より霊的に、より聖書的に、より超教派的に活動してきました。
今年は、イタリヤ・ミラノで日本人牧師として活躍される内村伸之師をお迎えします。先生のヨーロッパ在住の日本人に対する宣教の情熱を語って下さいます。心は期待でいっぱいです。
昨年日本を襲った大災害は未だ、福島第一原子力発電の問題も含めて、回復には程遠い状態です。今こそ主にあるクリスチャンが一丸となって祈り、献身し、それを行動に移し、伝道の実を結ぶべき時ではないでしょうか?そのためにわたくしは皆さんと共に三つの(J)に心を集中したいと思っています。
第一の「J」はJESUS(イエス様)です。主を愛し、主と共に歩み、御言葉を頂いて、より主に似るものとさせて頂きたい。このリトリートで、更に主の御声をお聞きしたいものです。
第二の「J」はJAPAN(日本、日本人、日本語理解者)です。私は世界を回って驚くことは、殆どどこの国に行っても日本語キリスト教会があることです。最近韓国の教会にも多くなっていますが、例えば、ハワイの日本人教会は100年前からのものが多くあります。日本人クリスチャンは本国では僅かですが、海外では何と多く活躍をしていることでしょう。。何故でしょうか。ここに深い主の御心があると信じています。このSCCRが日系教会のリトリートとして、更に祝福されるよう祈っています。
第三の「J」はJEWS(ユダヤ人)です。近年メシヤニック・ジュー(ユダヤ人キリスト者)の教会が起こり、多くの所でユダヤ人たちのキリスト教会が活動しています。ユダヤ人が、主イエスを救い主として告白し始めたしるしです。主の再臨の近いしるしです。昨年の南加リトリートの祈りの一つ、主の再臨を今一度祈りたいと願っています。1月21日から、日本の牧師伝道者の方々と、聖地イスラエル研修旅行に行って参ります。
2012年1月4日
BLOG TEAM
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦(ゆる)し、
身体(からだ)の甦(よみがえ)り、
永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず
「ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」(ローマ1:7)
「またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。」(ローマ16:5)
一年に一回、超教派でキリストの名のゆえに同じ場に集まり、御名を賛美し、御言葉に耳を傾けることには、大きな意味と祝福が在ると思う。日本の教会では、多くの教会で、礼拝ごとに 「使徒信条」が唱和されている。私は、それはいろいろの意味で有意義なことと思い、アメリカに来てからも、礼拝のプログラムの一部として実践している。
キリストの教会は、「神に召された人々(聖徒)の集まり」である。神の御前では、教派・教団や、神学の枝葉における相違、人種・国籍の違い、不動産・会同の有無などは、無に等しいことであろう。キリストを真心から信じ、愛しているか、否か、のみが生命的な重要事である。
日本でも、アメリカでも、人々の「教派意識」は、かなり強いと感じてきた。「同じ主イエスを信じている兄弟姉妹」という意識よりも、「私の宗教は、○○派」と言う意識の方が強いなー、と感じさせられることがしばしばある。 使徒パウロは、「パウロ派」のクリスチャンに手紙を送ったのではなく、主イエスを信じる全信仰者にその手紙を書いた。ローマには、教会堂は一つも無く、信仰者は、献身的な信仰者の家々で主を礼拝していた。迫害が熾烈になった時には、地下の墓地でも礼拝をしていた。
私たちは、普段は、自分の救いのために神が導いてくださった教会で礼拝し、聖徒の交わりに与っているが、年に一度くらいは、教派、教団の壁を越えて、「聖徒の交わり」 をした方が良いのではなかろうか? そうすれば、主が喜んでくださる。 日常の生活のルーティンから離れて、2、3日でも、御言葉と賛美と祈りに専心することは、心身のレクリエーションとなる。皆が心を一つにして祈っていたとき 「聖霊が下られた」と記されている。今年も、友人、知人を誘って、参加しましょう!
2012年1月10日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
新年明けましておめでとうございます。
主にある皆様全員が新しい志とともに新年を迎えられたことと思います。
主がそれぞれの志を豊かに祝福し、それらを実現へと導いて下さいますように。
さっそくですが、7月23-25日に持たれます2012年SCCRの主題・副題・分科会のテーマが決定いたしましたので皆様にお知らせします。今年のSCCRの主題は、‘キリストの心を心とする’です。今の時代を生きるクリスチャンたちにとって、今こそキリストの心を私たちの心とし、私たちを通してキリストが生きてくださるようにとの思いで、この主題が掲げられることになりました。また召されたすべてのキリスト者が召しにふさわしく歩むことが‘キリストの心を心とする’者の生き方であることを覚え、‘召しにふさわしく歩もう’という副題を掲げることに致しました。
また、今年の分科会につきましては、昨年同様、以下のとおり10のクラスを準備させていただきます。すべてのテーマが興味深く、内容のあるものですが、皆様にはこの中からひとつのクラスを選んでいただくことになります。なお分科会の概要につきましては、担当の先生方に短くまとめていただいたものをSCCRブログ上で皆さんにご報告させていただきますのでご期待ください。
主題:キリストの心を心とする (ピリピ2:5)
副題:召しにふさわしく歩もう (エペソ4:1)
今年も一人でも多くのお知り合いに声をかけて下さり、夏のリトリートにお出かけください。
平安
2012年1月14日
BLOG TEAM
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2012年4月14日
BLOG TEAM
SCCR 参加者の皆様、
今年の SCCR も昨年同様10の分科会が用意されています。今回も以下のとおり、担当の先生方にそれぞれの分科会の紹介をしていただきました。どれもが大変興味深い内容ですが、どうぞ、この中から一番関心のある分科会を選び、聖書の学びを深めてください。なお、それぞれのクラスの人数を平均化するために、申込用紙にはクラスの希望を①から④まで書いていただきますが、できるだけ皆さんのご希望のクラスで学べるよう、祈りをもってクラスをお選びください。
主イエスの救いと、仏教と神道に根ざした日本人の考える救いには大きな隔たりがあります。その為、日本人が、主イエスの人類救済に向いている心を理解するのは容易ではありません。この容易でない業を手助けするのを私たちクリスチャンは主から委ねられています。その難しさと、主イエスの心をいかに伝え、理解してもらうかをディスカッションし分かち合いたいと思います。
キリストの心と信仰生活って何ですか?とあなたが聞かれたら、意外と答えが難しくテーマでないでしょうか?いまさら、こんなこと聞けない、でも聞くのは一時の恥、聞かぬは天国までの恥です。一緒に信仰生活とは何か考えてみませんか。あなたにとって信仰生活は楽しいものですか?それとも、マンネリ化していませんか?信仰生活をすればするほど、救いの感激が増してフレッシュに生きれるのが信仰生活のはずなのに。苦しいことや、難しい問題が人生の中にはあります、でも、私たちは生きている神様を信じているのです。信仰生活とは、神様と話すことです。それは、キリストの心を知ることです。では、どのようにして神様と話すのでしょうか?分科会の中で、学びと共にとワークーショップしつつ学びたい、と思います。信仰生活とキリストの心は、一緒に分科会のひと時考えて見ませんか?
神様のビジョンは、「すべてがひざをかがめ、...すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられる」ことです。(ピリピ2:10-11)。このビジョン達成のため、神様は世界宣教の計画の中にあなたも私も含まれておられるのです!世界宣教は、ここから、私から始まります!「伝えたいし、伝えなくちゃならないのは分かってるけど、私には・・」と思ってる方、ぜひ一緒に学びましょう!
祈りは最大の奉仕」を主題と副題にそって皆さんと共にわかちあいたいと思います。聖書の中で祈りがどのような「最大の奉仕」がなされてきたか、また私たちがどのように祈ったら「最大の奉仕」が出来るのか、聖書のみ言葉から皆さんと共に学びたいと願っています。参加なさる方の体験の証を交え、すごく楽しい学びとなると期待しております。父なる神とイエス・キリストから恵みと平安が豊かに皆さんの上にありますように!シャローム!
どちらにも責任がある最悪の関係とは何でしょうか? また、最良の関係にするためにどちらも努力すべき事とは何でしょうか? とにかく、一方だけの責任ではありません。双方の努力次第です。
ユダヤ人とは誰か。パレスチナ人とは誰か。創世記、出エジプト、捕囚時代、イエスの神の国宣教、神殿崩壊、イスラエル建国、そして、現代のイスラエル、未来のイスラエを、概要的に学びます。
イエス・キリストの啓示により、やがて来る患難時代の全容が黙示録の中で明らかにされていますが、七つの教会、七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢の幻を中心に展開されており、その途中に挿入される天の光景、サタンの動き、キリストとの戦いが展開し、最終的に千年王国、白い御座の裁きを経て、新しいエルサレム、新天新地という流れになっています。構造が少しややこしい部分もありますが、大まかな構成を知ることで患難時代の全容が見えてきます。
「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」(ヨハネの福音書 5:39)キリストは、旧約聖書とご自分についてこう言われました。旧約聖書は、どこで、どのように、キリストのことを証しているのでしょうか? 単に、キリストの来臨の予言の箇所のみならず、総合的に、この興味深く、重要な内容を学びます。
ピリピ2章。キリスト教は「喜びの福音」です。喜びと感謝は親戚です。「きよめ」(全き愛)とは、喜べる能力です。*「思い」のきよめが最高です。思いが行動になり、行動が習慣をつくり、習慣が性格をつくり、
性格がその人の運命をつくります。*救われることは、大きな喜びですが、喜びドロボーに気をつけて下さい。4つあります!?*プロになるには、練習(訓練)が必要です。(ヘブル12の1〜11)その模範は、(1)イエスさまの<従順> (2)パウロ先生の<犠牲>(礼拝)(3)エパフロデトへの<あわれみ> これらの訓練を通して*信仰の完成は:常 時 喜 悦 不 断 祈 祷 万 事 感 謝( 1テサロニケ5の16〜19) <クリスチャンの人生は喜びと感謝と勝利の人生です>
2012年4月30日
BLOG TEAM
現在 DUO TAKASE は大阪にある単立教会、北浜インターナショナル・バイブル・チャーチの音楽主事を務めさせていただながら、ハワイのマキキ聖城基督教会音楽伝道師として祈りに支えられつつ神の「恵み」を導かれた所、所でお伝えしています。
2012年度南加クリスチャンリトリートにおいて、音楽主事を努めさせていただけますこと主に感謝しております。
ロマ書15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
使徒パウロはロマ書15章後半で、キリストにある信仰のバランスが大切であると述べています。どんなプランを計画しても、限られた時間の中でそれを行うことには知恵が必要です。使徒パウロも、伝道旅行における、長期計画と、短期計画のバランスがうまく保たれるよう、祈りの要請を書き送っています。
音楽主事が祈り、願うことは、喜びや、試練、それぞれが違う背景をSCCRへ持ってこられている会衆お一人、お一人の神様への微妙な喜びの深さ、試練の深さを主に委ね、適切な賛美を聖霊の導きによってリードさせていただくことです。つまり、長期的にはSCCR全体の賛美が祝福されること・・短期的には、一つ一つの集会が祝福されること。この両者のバランスをSCCRのサポーターお一人、お一人に祈っていただきたいのです。
南加リトリートでは、集中して御言葉に聴いていく幸いなときが準備されようとしています。音楽主事もこれから具体的な賛美の選曲に入っていきます。どうぞ、様々な背景、超教派で集うこの集会で賛美されるべき賛美歌を選曲していくことが出来ますよう、お祈りください。そしてSCCRへ御参加いただき、共に恵み深い主を賛美でき「恵み」を体験するときにしようではありませんか。ハレルヤ
2012年5月30日
BLOG TEAM
南加リトリート、最高に恵まれました!内村先生のメッセージで、神であられるイエス様が万物を脱ぎ捨て、私の前に膝まづいて、足を洗ってくださっている愛の深さに圧倒され、洗っていただく事を願い、また、他の人達の足も洗っていく事を選ぶキリストにならう者となりたいと祈りました。
内村先生を通して語られたメッセージは、まるでイエス様が私に語ってくださっているような感覚さえ覚えました。イエス様は出会った人々の人生を変えてしまう。いや、変えられなければ、それは空しい事であるということをしみじみ感じ、これからこの信仰生涯、イエス様のようになる事を目標に歩んで行きたいと思います。
今回北米に来てはじめて、大人の方々が中心のリトリートに参加させていただきました。私にとって南加クリスチャンリトリートは前進するための休みとなりました。今回、修養会を通して与えられた神様からのメッセージは「忍耐する」「その場所に希望を持ってSTAYする」ということです。開拓教会を初めて2年目、私にとってまさに多くの忍耐がありました。それは神様への希望を持ってSTAYする、そして留まるべき共同体にいてこそ、神様の恵みが臨む、という事を日常の奉仕の中で忘れやすいものでした。しかし、神様の導きが南加の教会に、私どもJUBILEEにあることを期待して、主の導かれた地にSTAYしていきたいと思います。今回、南加リトリートに導かれた神様に感謝します、また聖書講解を通して多くの神様の心を伝えてくださった内村先生はじめ、講師の方々、仕えられた方々に感謝します。
2012年のSCCRも良き「自己吟味」の時となりました。車にたとえるならば、緩んだネジ、タイヤの空気圧、オイルの点検など、走り続けるに、安全な状態になっているのか・・聖書を通して語られる御言葉に、確認するときとなりました。個人的にも、戦いの多い一年でしたが、聖会へ出ることにより神様から励ましを頂、多くの教訓を聖書よりいただきました。主のみ名を賛美します。
今年も一日半だけでしたが参加できてとっても良かったと思っています。内村先生の聖霊によって押し出されて語られる言葉は落ち着いて静かではありながらも、とても迫ってくるものがありました。また賛美、分科会も素晴らしく、数時間で終わるのがもったいないほどでした。全体参加が無理でも、仮に日帰りでもあの場に集うことは大いに意義があり、本当に励まされること間違いなしです。
イタリアの賛美教会で初めて‘ヨーロッパ・キリスト者の集い‘というリトリートに参加し、それがきっかけて信仰生活に入った若い姉妹兄弟がいたことを思い出しました。内村牧師が言っておられたように主イエスから目を離さないことが大切であることを再確認しました。わたしは、英国で洗礼を受け、イタリア、アメリカ、日本、イタリア、フランス、イタリア、そして今は米国と生活の変化がありますが、どこの国に行こうともキリストを信じる者の共同体をつくりたいと願っています。今現在ニューメキシコに日本人教会や日本語の集会はありませんが、神様がここに来なさいと与えられた場所は素晴らしい所で、神様が造られた大自然からエネルギーをいただき、ここで日本人の共同体が与えられるようにと祈ってます。カルフォルニアのリトリートに参加できて2012年は特別な年になりそうです。
2012年8月7日
BLOG TEAM
今年もリトリートに参加できて感謝でした。内村先生を通して語られたメッセージはとても個人的に受け取る事ができて、主はすべてをご存知である事また主の深い愛にふれた思いでした。イエス様をとても身近に感じました。来年も続けて参加させて頂きたいですし、もっと多くの方にこの修養会の恵みを受け取って頂きたいと思います。来年の修養会も主に期待して、私も自分にできる事をお捧げしたいと願います。
今回のリトリートは、まるで私のためにあったのではないかと錯覚をする程に、私にとっては感動的なものでした。『キリストの心を心とする』という主題のもとに、「あきらめない心」「しもべの心」「羊飼いの心」の3つのメッセージをいただきました。どのメッセージからも神様から個人的に語りかけられ、励ましと勇気が与えられましたことを心から感謝しております。
今年も南加クリスチャン・リトリートに参加できて大変祝福されました。今回は、イタリアの内村先生のメッセージを通して、先生のキリストにある献身、ヨーロッパでの日本人伝道への重荷が、まるでイエス様が語られてるような感じで私に伝わってきました。内村先生の深い信仰から来る確信が、静かなお人柄なのに情熱的でしっかりと私の心に響きました。私も霊的に大いに覚醒されて、イエス様の心を自分の心にしたいと新たに献身しました。4人のそれぞれのお証しも感動しました。また高瀬ご夫妻の賛美もすばらしく、すべてにおいて恵まれました。
英語で言うRetreatは、何という優しい響きに満ちていることでしょう。新しくクリスチャンとして選ばれて以来、教会の中で学び、その恵みを知り、共に礼拝を捧げる日々ですが、主はクリスチャンとしての更なる養いの機会を与えてくださいます。ああ、それがまさしくRetreatだったのですね、と感謝しました。それが、教派を越え自分の教会だけじゃなく、今この地上でのクリスチャンとして、南カリフォルニアの地で、交わり、繋がり、養いを受けるようにと与えられたのでした。このSCCRを、来年も多くの同胞に知らせ、主に在って共に養いを受けられるように、待ち望み仕えていきたいと、思いを新たにされたことです。感謝!
今年は、子供たち3人と共に参加する2回目のリトリートとなりました。3日間、仕事、家事、母業から離れて、御言葉にどっぷりつかれる機会を与えられ、心から感謝しています。子供たちの先生、恵子先生との交わりを始め、たくさんの教会からの兄弟姉妹との交わりは、新鮮であり、これからの信仰生活の励みとなるものになりました。来年もお会いできることを楽しみにしています。
待ちに待ったリトリートでの豊かなお恵みは、今もなお蘇ってまいります。今年の主題である「キリストの心を心とする」ためには、イエスから目を離さず、忍耐が大切であること、またどんな困難にあっても挫けない、動かされない、逃げないことであると語って下さいました。イエス様は前に置かれた喜びのゆえに、十字架に耐えられた。その喜びとは、私たちを救う喜びであり、「わたしは十字架にかかるために生まれてきたのです」とのお言葉に、メッセージを聞きながら再び胸が燃やされました。私はこのことを心に深く、熱い思いで受け止め、イエス様のご愛の十字架の意味がもう一度蘇ってきました。残された生涯を神と人とに仕える者、主に従う者の決意を深くさせられ、神を愛する者に約束されたいのちの冠を頂くべく走り続けて行きたいと願っております。溢れるばかりの豊かなお恵みを頂き、素晴らしい快適なホテルでの集会、来年もまた行きたいと、今から期待しています。
2012年8月17日
BLOG TEAM
今回、初めて南加クリスチャン・リトリートに2日間参加させていただき、これから無牧のときを迎える教会に置かれている私にとって大変励ましの時となりました。私たちは弱く道に迷いやすい羊であると共に、それぞれの与えられた羊の群れを牧していかねばならない羊飼いであるというメッセージは、とても心に深く刻まれ、大きな責任を神様からいただいた思いでした。愛する私たちのために十字架で命を捨ててくださった「イエス・キリストの心を心とする」ということは、一生かかってもできない大変難しいことですが、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません(詩篇23:1)」に強められ、主の愛に応え、少しずつでも「羊飼いの心」に近づいて、教会のためにご奉仕できたらと思います。
私は2日目の分科会から参加しましたが、そこで今後起こる事に対する備えをいただき感動しました。これは神様にしかできないわざです。感謝します。また内村先生のメッセージ、お証し、グループ・ディスカッション、賛美者のトークなどから、神様がそれぞれになさったことをお聞きし、とても励まされました。このお方に従っていけば大丈夫との信念、さらに堅固にされました。来年も期待します!
今年のリトリートは最初から最後まで聖霊充満を体験する時となりました。内村先生の聖霊に満たされて語られる御言葉はとても力があり、私の心に迫るものがあり、召しにふさわしく歩いているのかと心を探られる貴重な時となりました。又メッセージの後、小グループの姉妹達と今現在持っている課題を分かち合い、共に祈る事が出来ました。信仰の一致を確信した姉妹方は、置かれている場所も状況もばらばらでしたが、そこに神様が共にいて働いて下さるとの確信を持ちました。聖書こそ全ての問題に解決を与え、希望を与え、勇気も頂けるとの認識を持ち、来年のリトリートで再会しましょう、と約束しました。分科会も10のクラスを用意して下さり、どれも興味あるテーマで選ぶのが難しかったのですが、私は「イスラエルの歴史」に出席し、一時間の予定では短すぎて質問の時間が足りなくて、皆残念がっていました。あなたも来年こそは素晴らしいリトリートを体験なさいませんか。必ずや素晴らしい賛美で心を整えられ、御言葉からメッセージを取り次ぐ先生を通し心が揺さぶられ、イエス様の愛に満たされる事でしょう。
2012年9月7日
BLOG TEAM
SCCR サポーターの皆様、
主の尊い聖名を賛美します。
いつもSCCRの働きのためにお祈りを感謝します。
さて、今年も素晴らしい南カリフォルニア・クリスチャン・リトリートが持たれましたことを主に感謝致します。先月の準備委員会のMeetingでの報告によりますと、今年のリトリートの参加者は大人92名、子供6名ということでした。
今年はイタリアのミラノより内村伸之先生をメイン講師としてお迎えし、『キリストの心を心とする』というテーマで三回のメッセージを取り継いでいただきましたが、いずれのメッセージも参加者全員の心に、主への感動、感謝、献身、悔い改めの思いを湧き立たせる素晴らしいものでした。そして、最後の締め括り聖会の中野雄一郎先生のメッセージも、いつもながら聴衆の心を主に向けさせるものでありました。
また、分科会での学びやスモールグループでの分かち合いも大いに祝され、皆さんが恵まれた時間を過ごされたようで、多くの積極的なコメントをいただきました。また、恒例のDuo高瀬コンサートも大いに盛り上がり、聖会ごとの賛美も大変素晴らしいものでした。
それから、今年も子供たちのクラスを吉村恵子姉妹が担当して下さり心から感謝致します。
来年のリトリートは7月23-25日に開催されることになっていますが、これから約10ヶ月、ぜひ皆さんの日々の祈りに覚えて下さり、また周りの方々にSCCRをご紹介いただければと願います。準備委員会としても、もっと多くの教会に連絡を取りながらSCCRの働きを紹介させていただき、同胞の救いのために祈り、労していきたいと願っています。
平安
2012年10月4日
BLOG TEAM
2013年のリトリートの講師は、福島第一聖書バプテスト教会牧師の佐藤彰先生です。以下、佐藤彰先生の証からの抜粋です。
3月11日の東日本大震災。その日は奇しくも、私の誕生日でした。地震、津波、それに続く原発事故。穏やかな日常が一変しました。家も地域も教会も喪失し、町で暮らすすべての人が、赤ちゃんからお年寄りに至るまで、ひと夜にして否応なく故郷を追われることになったのです。
ところで、当初突然家を失い、着替えも貯金通帳も持たず旅に繰り出すことになった私たちは、気がつくと口癖が、「有難い」でした。食べるごとに、「食べるものが与えられて、ありがたい。」、とか、着るものが支給されありがたくいただきました。人情の機微に触れて、自然と涙腺がゆるみ、幾度も心震え、涙を流しました。当初、雑魚寝であっても、布団で横になることがはありがたく、5日ぶりに温かいものを口にして、感激しました。
そして私たちは、いつしか気が付きました。生きるのに必要なものは、そう多くないと。私たちはこれまで、多くの人々に助けていただきましたが、余りにその様な機会に出合うので、もしかしたら私たちは、被災してたくさんのものを失ったけれども、より多くのものを得たのかもしれないと、考えるようになりました。間違いなく私たちは、神の愛に包まれ、人々の温もりに支えられて、ここまで来ました。苦しみましたが、数多くの恵みに出会いました。
聖書が語る救い主イエスは、そんな苦悩する私たちをほおっておくことができず、ついに神ご自身が、私たち人間の住む世界に飛び込んで来られたのだと、伝えています。泣く者とともに泣き、悲しむ者とともに悲しむ神は、人となられた救い主を、「悲しみの人で、病を知っていた。」と記しています。
神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
私はある日避難所から、他の避難所に物資を届けようとしました。けれども、突如自分の心が耐えられなくなり、思わずその避難所から飛び出してしまいました。そして、自分の心が傷ついていることを知りました。自らおぼれながら、他のおぼれている人を助けることは、できないことを知りました。
神のみが、私たち溺れる人間を救い、助けることがお出来になります。神のひとり子であるイエスを、私たちの世界にお遣わし下さったほど、私たちを愛しておられる神。イエスは、滅びゆく人間の罪を十字架でゆるし、救い出すために来られたのです。
痛みと悲しみが満ちる闇の世界に飛び込んで来られ、自ら世を照らす光となられたこの方を、今も苦悩する私たちの救い主として、心の中にお迎えしようではありませんか。
2012年12月20日
BLOG TEAM
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