ハレルヤ!
8月20日、21日の2日間、神様の大いなる祝福のもとに、2021年のリトリートを開催することができました。
み言葉を取り次ぎ素晴らしいメッセージをくださいました関先生、貴重な体験のお証をしてくださいましたレイ夫人、恵子・ホームズ姉妹、ルミコ・フェデリコ姉妹、そしてスモールグループのリードをしてくださいました多くの兄弟、姉妹の皆様の愛あるご奉仕に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
両日とも、150人を超える参加者があり、神様のもとに皆様が集うからこそのリトリートです。
ご出席してくださいました皆様、このリトリートのために期待を持って祈り続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。
関先生のメッセージとレイ夫人の証しの動画がyoutubeにアップされましたので、以下のリンクをクリックしてご覧ください。
又、まだイエス様と出会っていない方々にも動画を紹介していただければ幸いです。
メッセージ#1
メッセージ#2
メッセージ#3(れい夫人の証し)
メッセージ#4
感謝。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年9月14日
BLOG TEAM
お元気ですか?
気がつけば早7月も末になり次の日曜日にはもう8月が始まります。
南加リトリートまであと3週間となりました。皆様お申し込みはお済みですか?
まだお済みでない方はできるだけ早めにお申し込みください。(ブログ記事一覧へ行って、リトリートお申し込みページから申し込んでください。)
さて、私事ですが、リトリートの準備を進めるにつれ初めて参加した時のことを思い出す今日この頃です。ずっと参加したかったのですが、様々な事情によりやっとの初参加が叶い、喜びと期待に満ち溢れてラスベガスから3時間のドライブをして会場へと向かいました。実際に参加したリトリートは期待以上に素晴らしく、こんなに素晴らしいのなら毎年通いたいと願い、その願いは神様によって叶えられ、今年まで毎年参加することができています。2年前からは準備委員のご奉仕を神様から頂戴し、「こんな私にも神様はこんな尊い働きを託してくださるのだなぁ。」と感動でいっぱいです。
今日ご紹介する賛美、「イエスがいるから」は今まで「主は今生きておられる」という歌詞で賛美してきました。ある日YouTubeでこの動画を見つけ、Ruah Worship の皆さんのハーモニーの素晴らしさにまず心を打たれ、また歌詞の中にある「イエスがいるから人生はすばらしい」という言葉にイエス様の十字架の贖いによって今こうしてリトリートでのご奉仕をさせていただけるようになった自分を振り返り、神様に心からの感謝と感動が沸き起こります。クリスチャンにとってイエス様が共にいてくださるとはなんと素晴らしい喜びでしょう。ましてや神様の働きにも参加させていただける特権をも与えてくださるとは! どうぞ皆様もこの賛美を味わってみてください。
イエスがいるから (Because He Lives)
- A capella Cover by Ruah Worship
編曲 峯 真理杏 (ルア・ワーシップ)
宣伝ではありませんが、SCCRでは神様のご奉仕に私達と共に参加してくださる方々を募っています。様々なご奉仕があります。喜んで神様に支えたいと願っておられる方々は、《SCCR について》のページの最後にある《サポーター登録》よりご連絡ください。働きに興味がありますとだけご記入いただければこちらからご連絡いたします。
それではリトリートまで残り3週間、共に心合わせてリトリートのために祈って下さると感謝です。
末広和美(すえひろ・かずみ)
北海道札幌市出身。17年間暮らした砂漠の町、ラスベガスから森と湖の国、ワシントン州ベルビュー市に移り住んでもうじき2年。すっかりワシントニアン。職業:日々、犬と格闘するクリスチャングルーマー。家族:娘1人、婿どの1人、犬3匹(ポメ、ダックス、ゴールデンリトリバー)。
2021年7月29日
BLOG TEAM
7年前にトマトの小さな苗の入った一鉢から始めた家庭菜園。
そのことを知った友人達が家で育てていたキュウリの鉢植え、アロエ、ニガウリの苗を分けてくれるというので、それなら、と日当たりの良い庭の片隅を4㎡くらい耕して、頂いた苗を地植えにしたところ、その夏に実り、収穫することができたのです。
生まれ育った実家では祖母が家族だけでなく、ご近所や親せきに分けるほどたくさん収穫する広い畑をやっていたので、「野菜は植えれば育つもの」と頭では分かっていましたし、種を干すことから次の年の収穫までの過程も見てきたつもりですが、自分で育てるのは初めての経験でした。
ですから、水をやるたびに「早くおおきくなーれ」、花を見ては「実をつけてね」と声を掛けている様は、正に「這えば立て、立てば歩めの親心」の気分で、自分でも笑ってしまいました。
翌年には畑にする面積を広げ、さらに苗の種類も増やし、以来、毎日の食事には庭で採れた野菜が必ず入っています。
野菜を育てながら実感したことは、「トマトからはトマト」「茄子からは茄子」しか育たないということです。
当たり前だと思われるかもしれませんが、この当たり前のことを信じない人たちがいるのです!
時間をかければいつの間にか、トマトが茄子になり(いえ、実際にはこうした植物の仮説ではありませんが)、サルが人間になると信じている人たちがいるのです!
神様は、すべての植物や生き物を「種類にしたがって」創造されたのです。(創世記1:11~25)
そして、種や苗を植えた後はただ水やりをするだけで、(多分雨の多いところではそれも必要ないでしょう)実際に育てて下さっているのは、その種に素晴らしい設計を施し、雨や太陽を降り注いでくださる神様なのです。
家庭菜園は、お腹の足しになるだけでなく、いろんなことを気づかせてくれます。
育つ途中で、枯れたり、虫にやられたり、一時的な強風で倒されたりして、収穫まで行かない野菜もありますが、それでも十分な収穫があります。
私達の伝道も人に話したからといって、それが実になるとは限りません。
でも、その結果を気にすることなく、福音の種を撒く者となりたいものです。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年7月23日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
皆様のご支援とお祈りを感謝します。
7月に入りました。先日はアメリカの独立記念日でした。
方々でたくさんの花火が上がり、大変盛り上がっていました。今年のリトリートも来月と迫っています。8月20・21日(金・土)、オンラインにて行われます。今回は、ハワイより関牧師夫妻をお招きして、メッセージを語って頂きます。【主】にあって、祝福に満ちたリトリートになると、大いに期待しています。
是非、ご参加ください。
さて、今回は聖書が教える「ポジティブ思考」について考えたいと思います。普段、ビジネス系の情報に触れることが多い私ですが、最近は特にどれを見ても「ポジティブでいる」ことがテーマになっているように思います。これも、コロナ禍の影響かもしれません。実際、長い自粛生活の中で、精神的に落ち込んでしまう人が多くいました。気持ちが落ち込むと、人は自然とマイナスなことばかりを考え、その感情を「裏付ける」ネガティブなことを探すようになります。しかし、それらは自分たちの勝手な思い込み、不必要な妄想であることが殆どです。落ち込みそうな時は、状況を客観的に分析して、不必要な考えを取り除くことが必要です。
聖書は、クリスチャンこそ「ポジティブ思考」であるべきだと教えています。
ピリピ人への手紙でパウロはこのように書いています。「最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」(ピリ4:8〜9新改訳2017)
ここでは、永遠の価値があるものが列挙されています。これらのものは、この世のものとは異なり、永遠に残るものです。パウロ自身、以前は肉に頼り、この世のものを誇っていました。しかし、キリストと出会いによって180度変えられ、それらのものを「ちりあくた」だと思うようになりました(ピリ3:4〜9)。パウロは、その生き方を通して、永遠の価値があるものに心を留めることの見本を見せてくれています。
私たちも、パウロの言葉から学び、教えを実行するなら、ともにいてくださる神の平和を体験することができるようになります。依然としてコロナ禍の影響は続いています。その他にも様々な問題、混乱が渦巻いています。その中で心が落ち込みそうになることも多々あります。しかし、クリスチャンはそのような時に、ポジティブ思考になることができます。永遠の価値があるものに心を向けることこそがその秘訣です。と同時に、パウロの言葉が命令形であることを考慮すると、心の健康を保つことは、私たちの責任です。
今日、心に曇りを感じている人は、永遠の価値があるものに目を向けてみましょう。ともにおられる神が、平和と平安とで満たしてくださいます。
皆様の上に主の豊かな祝福をお祈りしています。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年7月23日
YOSHIHIRO HORITA
これまで3500人以上の患者を看取ったホスピス医師が書いた記事を読みました。
死を前にした患者のほとんどが人生を振り返り、それぞれに思いを馳せるということです。
その経験から、その時に後悔しないために実践してほしいという提案事項を4つ紹介していました。
自分を否定しない
幾つになっても新しい一歩を踏み出す
家族や大切な人に心からの愛情を示す
今日一日を大切に過ごす
こうした内容の記事は他でも目にすることがありますが、聖書には、上記の4つの実践事項を奨励する御言葉があります。
「私の眼には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)
「見よ、私は新しいことをする」(イザヤ43:19)
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マルコ12:31)
「今は恵みの時、救いの時」(Ⅱコリント6:2)
クリスチャンはこれらのことだけでなく、「愛する人に福音を伝えたか」という事も、自分の生き方を振り返る時の問いかけになるかと思います。
自分の死は一度しかありませんが、自分の死が来る前に、これまでも愛する人の死を何度か経験し、これからもあるでしょう。
そのいずれの時にも自分に問う事になるのかと思います。
その時に後悔しないために。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年6月24日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
皆様のご支援とお祈りを感謝します。
6月に入り夏らしくなって来ましたが、如何お過ごしでしょうか。
皆様の健康が守られますよう、お祈りしています。
既にお知らせさせて頂いたように、今年のリトリートは8月20・21日、オンラインにて行われます。今回は、ハワイより関牧師夫妻をお招きして、メッセージを語って頂きます。【主】にあって、祝福に満ちたリトリートになると、大いに期待しています。是非、ご参加ください。
さて、今回は詩篇139篇の4回目の解説です。この詩篇は、4つのセクションから成る詩篇です。第1のセクション(1〜6節)では「神の全知」が語られました。第2のセクション(7〜12節)では「神の遍在」、第3のセクション(13〜18節)では「神の全能」が語られました。第4のセクション(19〜24節)では「神への信頼」が語られています。
詩篇 139:19〜24(新改訳2017)
19)神よ どうか悪者を殺してください。/人の血を流す者どもよ 私から遠ざかれ。
20)彼らは敵意をもってあなたに語り/あなたの敵は みだりに御名を口にします。
21)【主】よ/私はあなたを憎む者たちを 憎まないでしょうか。/あなたに立ち向かう者を嫌わないでしょうか。
22)私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。/彼らは私の敵となりました。
23)神よ 私を探り 私の心を知ってください。/私を調べ 私の思い煩いを知ってください。
24)私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て/私をとこしえの道に導いてください。
ここでダビデは、自分に敵対する悪者どもによる苦しみに目を向けています。悪者どもは、ダビデに敵対している、と同時に、彼を選んだ父なる神に反抗しているのです。彼らは、敵意を持って神に語るだけでなく、神の御名を使って悪を行うような者たちです。全知全能なる神の前になんと愚かなことでしょう。ダビデは、彼らの上に神の裁きを願っています。
21〜22節のことばを単なる復讐の祈りと考えてはいけません。これは、神の義に立つ祈りであり、神の義を擁護する祈りです。「彼らを憎む」や「私の敵となりました」という言葉は、悪者どもとの関係を断ち切り、彼らと関わらないという意味です。実に、ダビデは神の義を求めることこそ、正しいことであると知っていた人です。
最後にダビデは、神への信頼の言葉でこの詩篇を締めくくっています。全知全能なる神は、ダビデの心や思い煩い、その全てをご存知です。神に信頼する人は、神に知って頂くことを恐れません。また、ダビデは自分の歩みが神のみこころから外れているなら、それも正されることを願っています。これも「【主】は、真の信者を導いてくださる」という、神を信頼する言葉です。
ピリピ人への手紙 4:6〜7でパウロはこのように言っています。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
人生には思い煩いがたくさんあります。その中で必要なことは、神の恵みへの感謝をもって祈り、願うことです。真の信者は、神が必ず導き守って下さることを知っています。神を信頼する人は、神の平安を体験することができます。
今日、キリストにあって受けているこの恵みのゆえ、【主】をほめたたえようではありませんか。
皆様の上に【主】の祝福をお祈りしています。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年6月9日
YOSHIHIRO HORITA
ハレルヤ! 主の御名を賛美いたします。
皆様、お元気ですか?
数日前、YouTube である賛美を検索している時にたまたま「花も」の英語バージョンが出てきました。カバーしているのはご存知、「NCM2」のみなさん!
花も(英語)"Hanamo - Even In Flowers"
- NCM2 CHOIR
1年も前にアップされているので、おそらくもうすでにご覧になった方々もいらっしゃいますよね。私は初めて拝見しましたが、感動と感謝と喜びが胸いっぱいに広がりました。
というのも、2年ほど前に、ある修養会においてこの「花も」を日語部全員で英語部の皆様の前で賛美させていただいた経験があります。
皆様とても素晴らしいと喜んでくださいましたが、きっと言葉の意味はわからなかっただろうなと少しモヤっとする気持ちも残りました。
私たち海外に住むクリスチャンの多くはそれぞれがその住む国にある日語で福音宣教を行うエスニックチャーチとしての日本語教会に集っているのではないでしょうか?もちろん現地の言葉で語られる教会に集っている方々も大勢いらっしゃると思いますが、、、 実のところ私も現在は日語部のない英語だけの教会に集っていますが、引っ越し前は英語部もある日本語教会でした。
何度となくこの日本生まれの素晴らしい賛美を日曜礼拝で賛美しましたが、特に合同礼拝の時などは「英語部の皆さんも一緒に賛美できたら良いのにな」と思っていました。
それがなんと現実にできるようになる日が来るとは!まさに主の御名はほむべきかな!!
そしてこの「NCM2」の皆さんのコーラスが本当に素晴らしい!オリジナルの日本語バージョンの動画も知らないうちに1ミリオン越えになっていて本当に皆さんの素晴らしい活躍だなあと関係者ではないながら嬉しく思いました。NCM2の皆さん、主の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。
是非またSCCR にきてその素晴らしい賛美を聞かせてください!お願いします。
皆様も機会があれば是非、この「花も」を英語部の皆さんと日英両語で賛美されてみてはいかがですか?
さて、すでにメールでお知らせしました通り、SCCRでは今年も8月にウェブリトリートを開催することとなりました。(詳しくは記事一覧からウェブリトリートの記事をご参照ください)
申し込み受付も開始しています。是非、お友達もお誘いの上ふるってお申し込みください。
皆様のご参加を心からお待ちしています。
質問、ご意見、賛美のリクエスト等ございましたらお気軽にメールをください。宛先は [email protected] です。
末広和美(すえひろ・かずみ)
北海道札幌市出身。17年間暮らした砂漠の町、ラスベガスから森と湖の国、ワシントン州ベルビュー市に移り住んでもうじき2年。すっかりワシントニアン。職業:日々、犬と格闘するクリスチャングルーマー。家族:娘1人、婿どの1人、犬3匹(ポメ、ダックス、ゴールデンリトリバー)。
2021年5月28日
BLOG TEAM
今回は私事になりますが、ある婦人の死から考えさせられたことを皆様にシェアさせていただきたいと思います。
先日、知り合いの婦人が老衰で亡くなりました。
96歳で、私生活も私の知る限り充実されていたと思われる人生を歩まれ、日本的に表現すれば「大往生」と言った最期でした。
衰弱してきた状態を知らされて見舞いに行った病室には10人くらいの親族が集っていました。
その時、私もお別れすることができましたが、とうとう最期まで救いの話をすることができませんでした。
その方は、私がクリスチャンであることを知っていましたが、彼女が何年か前に乳がんと診断された時、
「もう長く生きて来たから、手術とかするつもりもなく自然に任せるから、私のために祈ったり神様の話をしたりしないでね」
と、言われていました。
彼女は夫に先立たれ、未亡人となった後も自立した生活をされ、亡くなる直前まで自炊もし、最期まで強い意思をもって生きてこられた方でしたので、神様を必要と思われていなかったこともあるのでしょう。
でも、神様を必要としない人生や救いを必要としない人がいるのでしょうか。
神様を拒否する人へ、私はどうすればよかったのでしょうか?
そんな思いを、スモールグループの兄弟、姉妹にシェアした時に、私たちクリスチャンにできることを教えていただきました。
◎とにかく祈る。
拒否されたら、目の前で祈ることをしなくとも陰で祈ることはいつでもできる。
◎イエス様の香りを放つ人になる。
「あなたのことを気にかけていますよ」と言う行動を示し、自分の思いが伝わるようなコミュニケーションをとる。
私はその婦人と縁あって、たまに連絡し合う長いお付き合いがありましたが、その長さと実際の関係の深さはどうであったかと言われたら、その方のことを深く理解し得た仲ではなかったのかもしれません。
コミュニケーションが足りなかったこともそうですが、何より婦人への愛がたりなかったのだと思わされました。
イエス様の香りを放つ人にしてください、そして宣べ伝えられる関係が築けるようにしてください、と祈りたいと思います。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年5月19日
BLOG TEAM
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2021年5月16日
BLOG TEAM
「God Bless You 」という賛美をご存知ですか?
以前、教会学校の働きに携わらせて頂きました。長きにわたりたくさんの子供たちと出会い素晴らしい恵みの時でした。
無事教会学校を卒業した子供たち、引っ越しで教会を離れていった子供たち、教会に来なくなった子供たち、シアトルへの引っ越しのため教会に残してきた子供たち…。
先週末、2人の子供たちがシアトルまで訪ねて来てくれました。初めて教会で会った時は1人は2歳、もう1人はまだ生まれてもいませんでした。今は大学2年生と高校2年生になりました。成長した彼らとたくさんの話をする中で、多くの思い出もよみがえってきました。
私はこの「God bless You 」を聴くといつでもこの教会学校で出会った子たちのために祈らずにはいられません。聖霊様が私の心をイエス様の愛でいっぱいに満たし、涙が溢れ、子供たちの将来を思い神様に祈らずにはいられなくなるのです。
皆さんにはどうしても神様に祈りたい、祈らなければいけない方々がいらっしゃいますか?
どうか今日この賛美を聞いて神様の御前に祈ってみてください。主が共にいてくださいますようにと…。
"God Bless You" by. K
1. God bless you
神の御恵みが豊かに あなたの上に注がれますように
あなたの心と身体(からだ)と すべての営みが守られ支えられ
喜び溢れるように わたしは祈ります
God bless you God bless you
God bless you God bless you
2. God be with you
神の御守(みまも)りがいつでも あなたの上に注がれますように
あなたがどこにいるとしても 何をするとしても
いつでも神様が共におられますように わたしは祈ります
God be with you God be with you
God be with you God be with you
2021年5月13日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
如何お過ごしでしょうか。
5月に入り夏を感じさせる季節になりました。
SCCRも8月のリトリートに向けて準備を進めています。近日、日程とスケジュールが発表されますので、ご期待ください。また、今年のリトリートも、主が大いに祝福してくださいますよう、お祈りください。
さて、今回は、詩篇139篇の3回目の解説です。詩篇139篇は、4つのセクションから成る詩篇です。 第1のセクション(1〜6節)では、神の全知が語られ、第2のセクションで(7〜12節)では、神の偏在が語られました。第3のセクションでは、神の全能が語られています。
詩篇139:13〜18(新改訳2017)
13)あなたこそ私の内臓を造り
母の胎の内で私を組み立てられた方です。
14)私は感謝します。
あなたは私に奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいはそれをよく知っています。
15)私が隠れた所で造られ
地の深い所で織り上げられたとき
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
16)あなたの目は胎児の私を見られ
あなたの書物にすべてが記されました。
私のために作られた日々が
しかもその一日もないうちに。
17)神よあなたの御思いを知るのは
なんと難しいことでしょう。
そのすべてはなんと多いことでしょう。
18)数えようとしても
それは砂よりも数多いのです。
私が目覚めるとき
私はなおもあなたとともにいます。
神は、人をその母の胎の内で組み立てたお方です。体の細部に至るまで、私たちの骨組みのすべては、神に知られています。この詩篇の作者であるダビデは、神の創造を覚え、喜びに満たされています。たましい(霊)が、それをよく知っていると言います。
人には、その生涯の詳細が書かれた「神の書物」があるようです。ダビデは、自分が誕生する前から、その書物にすべてが記されていると認識しています。同じように、私たち一人ひとりにも、人生の詳細が記された書物があります。神は、人間一人ひとりに計画を持っていてくださり、その性格や特徴のすべてを知っていてくださるお方です。
神のご計画(御思い)は計り知れず、それを知ることは人には難しいことです。しかし、それは確かに、体を形成する細胞の一つひとつに及ぶものであり、その不思議は驚くべきものです。
この箇所を通して、神がその全能によって、私たちを造ってくださったことを知ることが出来ます。真に自分自身を知ること、自己を確立することは、神の創造の認識から始まるのではないでしょうか。
誕生の前から共にいてくださったお方は、誕生後の人生も支え、導いてくださるお方です。
日々、この方を見上げ、信頼を置く人は幸いです。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年5月5日
YOSHIHIRO HORITA
漢字の中に聖書のメッセージが隠されている、という話を聞かれた方も多いかと思います。
それが神様の意図されたことなのか、偶然の一致なのかは私にはわかりませんが、「なるほど」と思えるような漢字があることは確かなので、ここにいくつかご紹介したいと思います。(※私独自の解釈もあります)
船
ノアの方舟には、ノアと妻、3人の息子たちとその妻たちの計8人が乗ったことから、「舟に乗り込んだ 八つの口で8人 (口は数も意味する)」
子
一(はじめ)と了(終わり)。アルファであり、オメガであり、初めであり、終わりであるイエス様。
羊
神の子羊、つまりイエス様。そうすると以下の漢字も納得できます。
義
イエス様を我の上に置いてこそ、「義」が成立します。
犠
「義」のために、神様に捧げる牛などの生き物(いけにえ、牲)
佯
見慣れない漢字ですが、読みは「いつわる、さまよう」意味は「見せかける、だます」です。イ(人)が羊(神)と対等に並ぼうとするのは、見せかけだけの、自分と人をだますことです。
羊水
私たちは胎児の時から神様に包まれていました。
まだまだたくさんあると思いますので、ご存じの方、この漢字もそうではないか?と思われた方は、お教えください。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年04月22日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
如何お過ごしでしょうか。
4月に入り、過ごしやすい季節になりました。
巡る季節の中に、神の麗しさがあることを覚え、主を賛美します。
さて、今回は、詩篇139篇の2回目の解説です。詩篇139篇は、4つのセクションから成る詩篇です。第一のセクション(1〜6節)で、ダビデは神の全知について歌いました。第2のセクションでは、神の遍在について歌っています。
詩篇139:7〜12(新改訳2017)
7)私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。
8)たとえ私が天に上ってもそこにあなたはおられ私がよみに床を設けてもそこにあなたはおられます。
9)私が暁の翼を駆って海の果てに住んでも
10)そこでもあなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます。
11)たとえ私が「おお闇よ私をおおえ。私の周りの光よ夜となれ」と言っても
12)あなたにとっては闇も暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗闇も光も同じことです。
全てをご存知である神から逃れようとするのは罪人の特徴です。ダビデは、神の御霊から離れて行くことはできるのか、神の御前から離れて逃げることはできるのか、逃避の可能性を考えています。しかし、当然の答えは「神から逃れることなど有り得ない」というものです。
たとえ天に上ってもそこに神はおられ、よみに下ってもそこに神はおられます。神から逃れる場所など存在し得ません。因みに「天」とは、神が臨在される場所であり、「よみ」とは、死者が行く場所です。2つの究極的な場所のどちらにも神がおられるなら、その他すべての場所に神は臨在しておられます。
たとえ「暁の翼を駆って(光の速度で移動しても、ということ)」、「海の果て(地中海の奥底のこと)」に住んだとしても、神の臨在から逃れることは出来ません。
罪人は神の遍在を恐れますが、聖なる者にとってそれは、平安であり、生きる力です。ダビデもまた、そのように感じています。「あなたの御手が私を導きあなたの右の手が私を捕らえます」とある通りです。
たとえ闇の中に自分を隠せると考えても、それは不可能なことです。
神にとっては闇も光も同じことです。
皆様は、神が遍在される方だと知り、どうのように感じますか?
どのような状況に置かれていても、神はそこに臨在していてくださり、御心のままに導いてくださいます。この方に信頼を置き、恵みによって、近づかせて頂こうではありませんか(ヘブ4:16)。
神の臨在の中に平安と励ましとを見出す人は幸いです。
皆様の上に【主】の祝福をお祈りしています。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年4月7日
YOSHIHIRO HORITA
LAでは、昨年3月、緊急事態制限が出されてから、今年解除されるまでの約一年間、多くの方が巣ごもり生活をしたであろうと思われます。
私もその一人で、教会も閉鎖、職場も閉鎖、出かけると言えば、朝の散歩と生活必需品の買い出し位でした。
でも、今のネット時代のおかげで、家に居ながらにしてできることが広がりました。
教会のHPでライブ礼拝に参加したり、後日youtubeに録画された説教を聞いたり、Zoomで共に説教を聞いたり分かち合いをしたり。
皆様の中には、オンラインで授業を受けている学生さんや在宅勤務をされている方もいらっしゃるでしょう。
こうした、教会や学校、勤務先などから配信される画像や文章の他に、自分で検索さえすれば、現在はインターネットから多くの情報を得ることができるのです。
聖書の学びはもちろん、違う意見を持つ複数の放送局のニュースを見たり、読書をしたり、大学や著名人たちの講義を聞くこともできます。
最近見た動画から、特に感銘を受けた二つを皆様にも紹介したいと思います。
ノーベル医学賞受賞者、山中伸弥教授の、高校生に向けた講義「人間万事塞翁が馬」
多摩大学大学院教授、田坂広志氏の「すべては導かれているー逆境を超え人生を拓く五つの覚悟―」
家に居ながらにしてこうした学びの場が得られるとは、なんと贅沢な事でしょう。
まるで家の中に講義室や大きな図書館が備えられているようなものです。
そういった意味では私たちはいつでも学生になれるのです。
偉人や大学教授、著名人の中には、もちろん無神論や仏教、カトリックなど他の宗教を信じている方々も多いので、もし、動画や文章の中に信条的に疑問に思うことがあれば、幸いなことに私たちは「み言葉」に立ち返って再考することもできるのです。
時間の許す限り、万年学生でいたいものです。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年3月25日
BLOG TEAM
2月22日に引き続き、相原雄二牧師へのインタビュー記事です。お楽しみください。
相原雄二牧師
──大切な、励まされる、あるいは大好きな聖句と賛美歌、またその理由を教えてください。
私が信仰に入った時の御言葉を忘れることができません。
我は全能の神なり汝我前に行(あゆ)みて完全(まった)かれよ(創世記17:1)
当時は文語体ですので…、今の人たちは分からないと仰るのですけれども…。(笑)
もちろんこれは神様がアブラハムに語りかけた重大なメッセージですけれども、私がクリスチャンになるときのきっかけの聖句がこれです。
賛美は「よわきものよ」(讃美歌514番)で、理由はすべてが神の恵みであるとうたっているからです。クリスチャンとしては当然のことですけれども、神の恵みによって今生かされているとうたった賛美です。
讃美歌514番 Satomi&Noriko
──現在のコロナ渦の状況をどのように見られていますか?
私はこの問題について当然のことながらいろいろと考えて、またお祈りをしています。昨年のまだこの病が始まって真っ盛りの頃(今もそうですが)、4月26日にルカ書の13章からメッセージを書きました。私の教会のホームページにその全文が載っています。
4月26日個人礼拝の手引
イエス様はルカ書13章2節と4節にあるように、ガリラヤの事件とエルサレムの事件の2つを引用して、当時イエス様のメッセージを聞いていた人々へ警告されたのです。
悔い改めなければ滅びる。
4月26日のメッセージの要約はこれです。これは全人類に対する神様の警告です。ですからコロナに患った人々だけが罪深いのではなく、人類はすべて悔い改める必要がある、そしてすべての人が審判にあう。だから今、神様が提供していらっしゃる救いの道を受け入れて、全能の神の前にへりくだって悔い改める必要があるという事を神様が警告していらっしゃると私は解釈してメッセージをしました。
それというのも私は旧約聖書の疫病に関する引用を全部調べてみました。そうすると例外なしにそれは神様のある民族、ある国、ある町の罪に対する審判だったんです。それ以外の理由の記録はないんです。ですから新約時代になって急にその意味が変わるとは思い辛いのですね。新約聖書には疫病で誰かが死んだとかいう記事はないんです。ただ使徒パウロが捕らえられ、訴えられたときに「この男は疫病のような人間で」という表現があるだけで。けれどもイエス様の世の終わりの警告の中にいくつかのしるしがあるのですが、「疫病が流行る」とちゃんと書いてあるのです。詳しくは上記の4月26日個人礼拝の手引きご覧ください。
──このような状況下、まだクリスチャンではない方々へのアドバイスはありますか?
まずやはり世界最古の書である聖書を読んでみてください。ことに新約聖書を読んでみてください。しかし、聖書を読んでみても分からない所がたくさんあると思いますので、教会へ行ってその意味を尋ねてみてくださいと申し上げたいです。もし不安で仕方がないという時には神はどこにでも、また誰のそばにもおられるので、どんな神様か分からないかもしれませんが「本当の神様、助けて下さい。私の心に平安を与えてください。」と、とにかく自分以外の力ある神に祈ってごらんなさいと勧めたいです。
なぜなら、神はクリスチャンであろうとなかろうと、本当に真実にご自分に向かって語る人には必ず聞いて下さるお方なのです。ですから、今までの色々な宗教的伝統で習った神ではなくて、それを超えて「世界で唯一の本当の神様、私の心に平安を与えて下さい、本当の事を教えてください。」と祈ってみて下さいとお勧めしたいです。
──先程、新約聖書がよろしいと言われていましたがお勧めの書はありますか?
マタイの福音書、ローマ人への手紙、このあたりが良いのではと思います。4福音書すべてを読むには時間がかかりますし、あるいはヨハネの福音書から読んでみてもいいですね。ローマ人への手紙はキリスト教の大綱と言いますか、骨組みですね、そういったものがすべて書かれているので良いと思います。
末広和美(すえひろ・かずみ)
北海道札幌市出身。17年間暮らした砂漠の町、ラスベガスから森と湖の国、ワシントン州ベルビュー市に移り住んでもうじき2年。すっかりワシントニアン。職業:日々、犬と格闘するクリスチャングルーマー。家族:娘1人、婿どの1人、犬3匹(ポメ、ダックス、ゴールデンリトリバー)。
2021年3月20日
BLOG TEAM
SCCRサポーターの皆様、
2021年も3月に入り春の訪れですね。
移り行く季節に、神の創造の豊かさを感じます。
さて、今回から詩篇139篇を数回に分けて解説していきたいと思います。
私自身を含め、多くの人がこのダビデの賛歌を心の拠り所にしているのではないでしょうか。
詩篇139篇を通して、神がどのようなお方なのか、そのご性質を見ていきたいと思います。
詩篇139:1〜6(新改訳2017)
1)【主】よあなたは私を探り知っておられます。
2)あなたは私の座るのも立つのも知っておられ
遠くから私の思いを読み取られます。
3)あなたは私が歩くのも伏すのも見守り
私の道のすべてを知り抜いておられます。
4)ことばが私の舌にのぼる前になんと【主】よ
あなたはそのすべてを知っておられます。
5)あなたは前からうしろから私を取り囲み
御手を私の上に置かれました。
6)そのような知識は私にとって
あまりにも不思議
あまりにも高くて及びもつきません。
詩篇139篇は4つのセクションで構成されています。最初のセクション(1〜6節)では、神の全知について歌われています。1節にある通り、神は人の全てをご存知です。神は人の行動のすべて(「座るのも立つのも」)を知っておられ、その背後にある動機もご存知です。「歩くのも伏すのも」とは1日の行動すべてを表す修辞的言葉です。朝歩き出す時から夜床に伏す時まで、人の1日の行動のすべてを知っておられます。そして、人が言葉を発する前に、神はそれをも知っておられます。
ダビデは神の全知の事実が、窮屈なことのように思えて、当惑しています。「あなたは前からうしろから私を取り囲み/御手を私の上に置かれました」ということばで、自分が感じている窮屈さを表現しています。更に、神の全知は人間の理解をはるかに超えたものであり、そこに達することは不可能だとも言っています。
確かに、私たちには、理解しきれないことが多々あります。しかし、その中にも神の麗しさを見ることができます。神は、私たちの言動や動機のすべてを知った上で、私たちを愛し、導いてくださいっています。そのことが理解できたなら、そこに神の恵みがあることを知ることができるはずです。
ダビデ自身、理解しきれないことの中でも、神の麗しさに目を注ぐことに人生の喜びがあることを知っていた人です。
「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4)
神の全知を知り、皆様はどのように思いますか?
恐れを感じますか?喜びを感じますか?
すべてをご存知である神に知って頂いていることを喜びとする人は幸いです。
今日も、全知である神に信頼し、与えられる恵みに感謝しましょう。
皆様の上に【主】の祝福をお祈りしています。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年3月11日
YOSHIHIRO HORITA
皆様、こんにちは。ブログチームの末広和美です。第2週を担当させていただきます。(今週は不規則です)よろしくお願いいたします。私は「人・つながる」と題して、様々な方々へのインタビュー記事を掲載させていただきす。記念すべき第一回目のゲストはSCCR創設者であり、初代主事でいらっしゃる相原雄二先生へのインタビューです。どうぞお楽しみください。
相原雄二牧師
──簡単な自己紹介をおねがいします。
相原牧師と申します。LA空港から高速道路で南東に約1時間走ったところにあるミッション・ビエホという町で日本語教会の働きをしています。日本語や英語、またその他の様々な言語を使う会社のチャプレンもさせていただいています。2度ほど、留学や会議などでアメリカへは来ていましたが、奉仕をしようという目的で1994年に来て、約25年ほどになります。
──現在アメリカで主の働きをされていますが、今までどのような地で働きをされていらっしゃいましたか?
私は日本で育ち教育を受け牧師になりました。最初に所属していた教団は自分で任地を決めるのではなく、本部が決めて牧師はその任命を受けるというシステムでした。ですから任地はずいぶんと変わりました。大阪から水戸、名古屋さらに仙台と日本では合計14年牧師をしました。
またその後、パプアニューギニアへ日本人宣教師として初めて派遣されました。これはどちらかと言うと自ら志願して教団が認め、計画して進めた海外宣教の働きの一端でした。当時パプアニューギニアはまだ非常な未開地で、外国に開かれて2年程しか経っていませんでしたが、宣教師として現地の方々に福音を伝える働きをいたしました。ニューギニアでは高地にたくさんの人々が住んでいて、実際の伝道地は1800m程の高地にあるフグアという山奥の電気も水道もないところでした。そこのミッション・ステーションで3年間奉仕をいたしました。その後、昔、太平洋戦争で日本軍が米軍やオーストラリア軍と戦ったラエという町で現地の教会の開拓伝道にあたり、足かけ18年宣教師として奉仕をさせていただきました。そののち、アメリカにいる日本語を話す人々へ伝道をしたいと導かれてアメリカへ参りました。
──そうですか、ちなみにパプアニューギニアは何語で話すのですか?
色々な言葉がありまして、現地の人々が話す言葉は850くらいあります。しかしそれでは国ができませんから教育をするときは小学校から大学までブリティッシュ・イングリッシュで行います。しかし全ての人が教育を受けられる訳ではありませんから、一般の人々はミラネージア・ピジンという言語を使ってコミュニケーションをしています。
──それでは伝道はそのピジンを使って行われたのですか?
英語とピジンの両方です。毎週日曜日ごとに現地の方々には朝にピジンで、また世界中からたくさんのクリスチャンが来られていましたから、その方々には夜に英語で説教をするといった具合でした。
──では、一つのメッセージを2つの言語で用意されたのですか?
いいえ、違います。2つの別々のメッセージを用意しました。それはメッセージの対象となる方々が異なるため、語るメッセージも変わらざるを得ないので2つ用意するわけです。しかし英語でメッセージをしている時は現地の方々もその場にいらっしゃるので、現地のヘルパーがピジン語に同時通訳をしてくれました。
──今までの働きの中で一番の喜びをおしえてください。
なんと言っても私は伝道者ですから一生懸命お祈りして、個人伝道をしてその人が「イエス様を信じます」と言って決心をされる時、そして洗礼式を明るい顔で受けられる時が一番うれしい時です。──逆に失敗談はありますか?
パプアニューギニアでの生活が一年も経っていなかった頃です。現地では野ブタを放し飼いにしていていくら畑を作ってもそれが荒らすのです。畑の中のミミズなどの虫を食べるためなのですが、野ブタが畑に入っていることに1,2時間も気づかないでいるとせっかく作った畑が全滅してしまうのです。それで現地のイギリス人管理に相談したところ、「そういうのは撃ち殺せ」と言うのです。あるいは現地の人々から尊敬される立場にいる方も、「そういうのは飼い主がルーズで放し飼いにしているので撃っちゃって構わない」と言うので、現地のミッション・ステーションに置いてある猟銃で夜中に撃ってしまったことがあるんです。そしたらあくる日、現地の勇猛な男性が50人位はいたかな、弓矢を持って戦いの姿で私の家を取り囲んでいたんです。いわゆる脅迫です。そして撃ち殺したブタの賠償金を支払えと言うので、現地のパスターの指導者にこういう場合の対処を相談したところ、あんなに怒っているから何をされるか分からないので30キナ(1キナ=当時のアメリカドルの約1.5-2倍)払えばゆるしてくれるということで、やむなく支払い収まりました。
──なぜ夜に放し飼いに? 餌のためですか?
ニューギニアではブタが入れないように、人の住むところはかこいで囲まれているのです。ブタは外に放し飼いです。ブタは山奥では財産です。どんどん増えていき、数十から数百頭単位で結婚時の結納金になったり祭りごとのごちそうになったりします。大切な持ち物ですからこちらがブタが入れないような頑丈なかこいを作らなければいけなかったのですが、当時は着任早々で知識もありませんでした。
(つづく…)
末広和美(すえひろ・かずみ)
北海道札幌市出身。17年間暮らした砂漠の町、ラスベガスから森と湖の国、ワシントン州ベルビュー市に移り住んでもうじき2年。すっかりワシントニアン。職業:日々、犬と格闘するクリスチャングルーマー。家族:娘1人、婿どの1人、犬3匹(ポメ、ダックス、ゴールデンリトリバー)。
2021年2月22日
BLOG TEAM
主にある兄弟、姉妹の皆様、経済活動が一部再開されましたが、まだまだ外出や集うことが制限されている中、いかがお過ごしでしょうか?
このコロナ禍社会、罹らないように感染防止に努めることはとても大事です。
しかし、意に反して罹ってしまうこともあるかと思います。
はい、私のように。
私の場合、感謝なことに、発熱、倦怠感、節々の痛みといった症状があったのは1週間だけで、その間、ベッドでじーっとしていただけで回復することができました。
これと言った基礎疾患が無いのが幸いしたと思いますが、神様から与えられた自然治癒力のおかげでした。
もしそれが叶わない時でも、「神様が守ってくださる。」
そう信じ、姉妹たちも祈ってくださいました。感謝です。
治癒力のもとになるのが免疫です。
免疫を上げるのに、運動や栄養が良いことはよく知られていますが、それをわかりやすく説明している言葉がありましたので、皆様にもご紹介したいと思います。
健康促進運動をしているこの団体が考えた、覚えやすい言葉で、「NEW START」というらしいです。
Nutrition(栄養)
Exercise(運動)
Water(水)
Sunlight(日光)
Temperance(節制)
Air(空気)
Rest(睡眠)
Trust in God(神に信頼する)アーメン!
主の働きを手伝わせていただくためにも、自分にできることをして、心身ともに健康でいたいものです。
知らないのですか。あなたがたの体は、神から頂いた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなた方はもはや自分自身の物ではないのです。(Ⅰコリント 6:19)
しかし、努力しても結果が思わしくない時もあるでしょう。
それでも、「Trust in God(神を信頼する)」ことさえできれば、平安でいられます。
あなた方の思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなた方のことを心配してくださるからです。(Ⅰペテロ 5:7)
日々神に信頼し、歩んで行けたらと思っています。
ガゴーラとも子
沖縄県出身。1979年渡米、1991年サンフェルナンド・ホーリネス教会(現クロスウェイ教会)にて受洗。1997年~カリバリー教会 in ウエストヒルズ。日本人補習校、日系旅行会社勤務を経て、現在マッサージセラピスト。子ども2男、2女。
2021年2月10日
BLOG TEAM
《プリムの祭りで食べる「ハマンの耳」と呼ばれるお菓子》
写真:https://japan-israel-friendship.or.jp/student/2988/ より
Credit: Elisheva Gohar on Unsplash
SCCRサポーターの皆様、
2月に入りました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
2月といえば、バレンタイン・デー(14日)や、プレジデンツ・デー(15日)があります。日本では、11日が建国記念の日になります。これらは、私たちもよく知っている祝日ですが、今年はもう一つ、私たちにはあまり馴染みのない、2月の祭日があります。ユダヤ人の祭り「プリムの祭り」です。今年は2月25日(木)の夕刻から、翌日26日(金)の夕刻にかけて、この祭りが祝われます。
繰り返し書きますが、「プリムの祭り」はユダヤ人の祭りです。これは、エステル記に記されている、神がイスラエルの民をハマンの陰謀から守られた出来事を記念する祭りです。
そのエステル記とは、実にユニークな書です。① この書には、神の御名が一度も出てきません。② 新約聖書は、一度もエステル記を引用していません。③ モーセの律法への言及がありません。④ 断食はあるが、祈りへの言及が一度もありません。このような特徴を持つ書も、読者に普遍的な真理を教えてくれています。
紀元前538年、ペルシャの王キュロス(クロス)の勅令によって、バビロン捕囚にあったユダヤ人たちは、エルサレムへの帰還と、神殿の再建が許されました。その時、約5万人のユダヤ人がエルサレムに帰還しましが、その数は極めて少数です。多くのユダヤ人は、エルサレムに帰還しないことを選んだのです。エステル記の鍵となる2人、モルデカイとエステルも、帰還しなかったユダヤ人です。この書は、帰還しなかったユダヤ人が抹殺の危機にあった時、神がその摂理的御手によって彼らを守られたことを記しています。その中で大いに用いられたのがエステルです。
エステル記が教えていることを要約すると以下の3つになります。
① 神は、神の摂理によって、人を導かれる。
② 神は、アブラハム契約(創12:3)のゆえに、イスラエルの民を守られる。
③ エルサレムに帰還しなかったイスラエルの民をも守られる神は、帰還した民を必ず守られる。
今月、この真理のゆえ、ユダヤ人はプリムの祭りを祝うのです。
新約時代を生きる私たち異邦人信者に、エステル記、及び、プリムの祭りは何を教えてくれているのでしょうか。
① 神は、私たちをも、摂理的御手によって導いてくださる。
私たちも、これまでの歩みを振り返ってみて、「あの時、神が助けてくださった」と思うようなことが多々あるのではないでしょうか。ローマ人への手紙 8:28 にこのようにあります。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(新改訳2017)。私たちは、如何なる困難の中でも、【主】の導きがあることを知っているゆえ、【主】に感謝することができます。また、すべてが益となることを知っているゆえ、【主】を賛美することができます。
② 神は、キリストにある信者を守ってくださる。
ピリピ人への手紙 4:6〜7でパウロはこのように教えています。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」この聖句は決して「苦難」が無くなるとは教えていません。クリスチャンライフにおいて、苦難や試練はつきものです。しかし、それが如何なるものでも、私たちは神に祈ることができます。また、与えられた恵みのゆえ【主】に感謝することができます。その感謝の祈りを通して、私たちの願い事を知っていただくとき、私たちは神の平安を体験することが出来ます。その平安が、私たちの心と思いをキリストにあって守ってくれます。
今日、この2つのことを覚え、【主】をほめたたえようではありませんか。
皆様の上に、【主】の豊かな恵みと平安がありますよう、お祈りしています。
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年2月3日
YOSHIHIRO HORITA
SCCRサポーターの皆様、
2021年も1ヶ月が経とうとしています。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
波乱の幕開けといってもよい年明けでした。今後も何が起きてもおかしくない状況です。
世の流れを見ていると、益々保守的価値観は失われ、聖書的価値観も消えゆくような状況です。このような時代だからこそ、私たちは真理に目を留め、キリストにある希望を抱く必要があります。
パウロはピリピ3:20〜21でこのように教えています。
「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(新改訳2017)
私たちには、帰るべき「天の都」があります。私たちは、その場所を見たことはないが、確かにその国籍を持っています。堕落するこの世で生きようとも、私たちはこの世に属しているのではありません。そして、天の都に住まう時が必ず来ます。それが「携挙」の時です。その日、キリストは私たちを迎えに天から降りて来られ、私たちは空中でキリストと会い、いつまでもキリストとともにいることになります(1テサ4:17)。そして、キリストご自身、私たちの卑しいからだを、栄光に輝くからだに変えてくださいます。ハレルヤ!
携挙は、クリスチャンの希望です。
私たちが目指すゴールは決まっています。それゆえ、今という時を信仰に生きましょう。そして、一人でも多く、この希望を知らない人たちにキリストの福音を宣べ伝えて行きましょう。そのためにも、私たちは真理と希望に目を留めていましょう。
サポーターの皆様が、主の働き人として、大いに用いられますようお祈りしています。
さて、SCCRは、今年もリトリートの開催を予定しています。コロナウィルスの影響の中、難しい状況が続きますが、様々な可能性を考慮して、再び皆様と共に集まり素晴らしい希望を与えてくださる主を礼拝する一時を持てることを大いに期待しています。是非、ご参加ください!
堀田恵裕(ほりた・よしひろ)
1985年生まれ。ロサンゼルス出身。2011年ハーベスト聖書塾修了。2017年グランドキャニオン大学卒業。約8年間のホテルマン生活の後、タルボット神学校入学。2020年、同校を卒業。聖書フォーラム長老。主の備え教会牧師
2021年1月28日
YOSHIHIRO HORITA
©2022, SCCR